2011年12月21日水曜日

11月4日

ゆかちゃんの個展会場で、
きょうはゆかちゃんのお誕生日だから、
誕生日と個展の開催を同時に祝うパーティなのだった。

ゆかちゃんの描いた絵に、山が3人姉妹になっているのがある。
そういえばゆかちゃんも3人姉妹なのだった。
わたしも、3人姉妹の絵を、どうしても描いてしまう。
タツミさんがやってきて、
「タツミも3人姉妹なのよ でもほんとうは4人で、一人死んでるらしいんだけど」
というと
ゆかちゃんも「うわ 私んとこもそう」
なんて言っている。
わたしはグラスにつがれたビールを少しのんで、すでに酔ってきたあたまでそういう話をきいていた。

3、3、3。あっちもこっちも3。

黄色みがかったうすい光につつまれて、みどりちゃん、チサトちゃん、あかねによるショウ。
パーティが本格的にはじまる。
床にとどきそうなくらい長い髪のかつらをつけて、
5th ディメンションの「アクエリアス」ではげしくおどる、
これもまた3人のおんなたち。
途中であかねのかつらが落ちた。
かつらが落ちても、もともととても長い髪、それをふりみだしておどるあかね。

柳田の司会でゆかちゃんがあいさつをする。
「今年は震災もあり その上にしたしい友人もなくなって もうどうしたらいいかわからなくなったけど」
という出だしに、柳田の目がうるんでる。わたしたちも同じ。

だけど、昨日で百箇日だったんだって。
それは、泣くことをやめる日なんだって。
そして、ちょうど101日めに、また皆で会って、こうして、ゆかちゃんの誕生日を祝っている。
なんてうまくできてるんだろう。

あのひとは、40歳のままいなくなってしまった。
今日、ゆかちゃんが40歳になった。
そして、ゆかちゃんよりもまた先輩のタツミさんがゆかちゃんにメッセージを送った。
タツミさんのいまいる地点からの、勇気のわくメッセージだった。
タツミさんのまわりにいるひとたちは、ずっとにこにこと、
からだの芯から自然に、たえることなくわきでてくるような笑顔をしている とおもった。

パーティがおわってから、さえ子さんとひさしぶりにお酒をのんだ。
わたしはさえ子さんと一緒にのめるのがうれしくてうれしくて、
ずっと、にたにたしていたかもしれなかった。
さえ子さんが思いがけなくあたらしいヘアスタイルをほめてくれて、
心はさらに、にたにたにたにた としていた。

2011年12月4日日曜日

11月3日

社長の企画したあたらしいインテリアブランドの内見会がせまっていて、
事務所はてんやわんやである。
といっても、てんやわんやしているのは社長と、龍くんと、わたしの3人なんだけど。

わたしは、いちにちひたすらミシンがけ。
会場のパーテーションとしてつかう布を縫っている。
ミシン糸を70mくらいつかったように思う。
社長が買ってきてくれていた、10個入りのドーナツを、
銘々に、おなかがすくたびに食べた。
10個入りのドーナツは、なかなか、重宝した。

終電を目標にがんばったけれどまにあわず、
3人とも、しょぼしょぼとした眼をして、
なんとなくしみじみと最後のドーナツを食べてから、
タクシーで帰った。

11月2日

こうして、日記を書く ということについて。

なにかひとつ目的があって書きはじめたわけではないのだけれど、
1日ぶんの日記を書くということが
わたしのイメージのなかでは、どんなことかというと、
地球のようなまるい球体に、
ちょうど経度や緯度にあたるような線をひいたとして、
そのうちのどこかの線上に一個の点を打つことと、
似ている気がしている。

今日はだいたいこのへんのこのあたり。
昨日はもっとあっち寄りだった。

そんな感じでいっぱいの点を打っていくと、
いつか、まんまるい球体ができるだろうか、
などというふうに思っている。

「きょうはこんなにだめな自分でいやな気持ちの日だけど、
まあ、これもまるい球体の一部なんだからな。」
って思えれば、いいかな、などと思って、書いている日も、ある。

11月1日

洋裁学校にて、スカートの裏地を縫った。
裏地をこんなに真剣にカットしたり縫ったりしたのは初めて。
裏地って、なんてあつかいがむつかしいんだろう。
ぴっちりと待ち針で型紙を留めていても、
カットする鋏のさきからつるつると逃げて、
いびつなカーブとがたがたの端っこにぎっくりさせられる。
意地悪い。
こんな生地でも、あつかいに慣れたら、うつくしく裁断することができるようになるんだろうか。
うつくしく裁断できるようにはなりたいけれど、
わたしはあんまり、あの、裏地の素材というものがすきではない。
できるなら、個人的にはあんまりつかいたくないんだ、ほんとのところは。
そんなちょっとした葛藤をおぼえながら、
だけどこれは勉強だから、眼をぎっとひらいて、裏地を裁断し、アイロンをかけ、ミシンで縫った。
真剣に。
真剣すぎて、酸素が足りなくなったりした。

10月31日

インターネットででまわっていた情報によると、
わたしはこの世界で78,438,474,360番目にうまれた人間ということになるらしい。

七百八十四億三千八百四十七万四千三百六十番目。
ななひゃくはちじゅうよんおくさんぜんはっぴゃくよんじゅうななまんよんせんさんびゃくろくじゅう番目。

なんばんめにしぬのかは、しらない。

今日は、布を9m20cmぶんプリントした。

10月30日

髪を切りにいこうかな、と思ってお財布をあけてみたら、
ぜんぜんお札が入っていないので、
すこしだけ考えたあげく
じぶんで切っちゃえ
ということになった。

ちかごろ、美容室にいっても、どんなふうにしたいかのよくわからなくって、
切ってもらったあとも「これでよかったのかなあ・・・まあいいや」
とおもっていることが多くなっていたのだけど、
じぶんで切れば、ちょっとずつ、迷いながら、さぐっていけるような気がしたのだった。

途中で、もうどうしようもないがたがたの髪型になってきてしまったように見えて
きもちがくらーくなったのだけど、
髪をあらってかわかしたら、髪のくせのながれにたすけられて、
自分で切ったにしてはそこそこうまく切れたように見える髪型に、なった。

なんとなく、いまの自分に、合っている気がする。

それで、ちょっと気分をよくしたのだった。

2011年11月2日水曜日

10月29日

「ほんで、どうしよ。」天ぷらうどんを食べおわった。
「まあ、そう、焦らんと。」ねこさんは、やまかけそばを食べおわって、爪楊枝。

出町柳まできて、展覧会をひとつみて、昼ごはんにした。
ここから神戸へ移動するかどうかで迷うわれわれ。
わたし 「べつに、焦ってはないけど。」
ねこさん「どうやって行くかなあ・・・(iPhoneで検索しながら)
     僕、普段、「乗り継ぎ検索」ってせえへんわ。パソコンやったら、するんやで。
     でも、これの画面をこんなんしたり、すんのがな。」
わたし 「こまかい作業がにがてなんや」
ねこさん「そう。・・・神戸までって、こっから70キロもあんねんて。神戸、行きたい?」
わたし 「いや、どうしても今日行きたいことはないよ。
     今日ねこさん帰って何かしなあかん用事あるんなら、大阪帰ってもいいし。」
ねこさん「もっぺん、さっきのとこ戻って、栗田が来てへんかどうか見にいこ」

展覧会場にもどったが、栗田さんの気配はなく、ぐるっとまわってみたが、やっぱり誰もいなかった。
わたし 「居ない。・・・・あ、カオリちゃん」
芳名帳に、カオリちゃんのなまえを見つけて指差すと、
ねこさんは「ほんまや。ひょっとしたらすぐその辺に居るかもしれんな。電話してみよか」と言い、
「その辺」よりはちょっと遠くにいたっぽいカオリちゃんを呼び戻した。

歩きながら、カオリちゃんと、おしゃべりをたくさんして、いっぱい笑った。
ねこさんはうしろからついてきながら、
「ふたりとも、毛ぇ真っ黒やなあ、染めてんの?」と言い出す。
カオリちゃんとわたしが「染めてないよ」と言うと
「めっちゃ真っ黒やと思て。僕、最近白髪が。」と言うねこさん。
カオリちゃんもわたしも「わたしもあるよ。けっこうある」と言う。

カオリちゃん「白髪って、抜く?染める?」
わたし   「わたし、もう、放置するわ。」

カオリちゃんがめぐる予定だったギャラリーを3つまわった。
すっかり真っ暗で、肌寒い。カオリちゃんもわたしもストールを出してはおる。
打ち合わせがあるといって、地下鉄の駅へむかうカオリちゃんの、ちいさい後ろ姿。


ねこさん「で、どーしょーか。コダマ(ギャラリー)。行く?」
わたし 「行くかどうするかで、飲み物決めようと思ってんでしょ?」
ばんごはんの時間だということで、おこのみやき屋に居るのだ。
ねこさん「そやねん。けど、まー、えっか。」
ということで、瓶ビールである。

ねこさん「みのりちゃんも、マイコちんも、るみも、皆、お母さんなったなあ」
わたし 「そうやなあ。蘭子のとこの子も、もうすぐ2歳かな?
     みんな、えらいなあ」
ねこさん「なあ」
わたし 「ユッコちゃん、ふたりめ産まれたみたい」
ねこさん「産まれたんか!」
わたし 「こないだ、ファッションショウで見かけて。
     しゃべってないけど、お腹がもう、おっきくなかったから、ああ、もう産まれたんやわと思って。
     『展覧会の搬出しないとアカンねん』って言って帰っていったみたい」
ねこさん「そうなんや、産まれたんや、ふたり目。あのひとはもう、ホンマに、すごい!
     ようひとりで産んで、育てて、展覧会もしとったよなあ。」

「うん、すごい。」と、えらくもすごくもなく、おきらくにビールを飲んでいるわたしである。

空いたお皿をさげにきたり、料理の説明をしにきたりする、アルバイトの女の子がとてもういういしい。
ねこさん「高1ぐらい?」
わたし 「うーん」
ねこさん「もう一声?高2?」
わたし 「うん、高2、かな」

木屋町通りを駅に向かう。
ねこさん「さっきの子、じゅうご じゅうろく じゅうしち ぐらいやったら、僕の娘でもおかしくないやんな」
わたし 「はー。 ねこさん じゅうご ひいたら、にじゅうよん、そうやなあ。ねこさん、あんな娘いたら、
     めちゃめちゃ心配しそう。バイトがえりに迎えに行って、嫌がられてそう。」
ねこさん「えー、そんな、心配せえへんよ。バイトきっちりしてる分には心配いらんやろ」
     いますれちがった2人組みたいんなんやったら、心配するけどな。」
わたし 「みてなかったけど、ギャル?」
ねこさん「うん。なんか異性関係だらしなさそうやん」
わたし 「うーん、そうやろうけど、いや、『そうやろうけど』っていうのはひどい、『そうかもしれん』けど、
     それも含めて、あの子らは強いよ?」
ねこさん「それも含めて、か」
わたし 「まあ、ここで心配してても」
ねこさん「しゃーないな」

各駅停車で座って帰った。
ねこさん「まだ8時過ぎやって。」
わたし 「えーっ もう 11時ぐらい、眠い。」
ねこさん「11時ぐらいの、眠さやな。 寝ていい?」
わたし 「いいよ。わたしも寝ていい?」

わたしは眠りには落ちられなかったが、眠気をずっと感じていたし、
電車は寒くなかったし、
お通夜の帰りの、あの時とは、ぜんぜんちがう と思っていた。
「あたたかい」というのはものすごく大事なことだ と思った。

ちょうど、3ヶ月なんだ
ものさしではかったみたいに。

2011年11月1日火曜日

10月28日

午前中、またじんましんの薬をもらいにいく。
帰ると、ものすごい眠気。
こういう眠気はひさびさだった。
たべるものがかわってから、目覚めがまえより良くなってきた気がするのだけど、
今日は、だめだ。
今日は、眠る日にしてしまおうと思って、眠った。

山の中で雨に濡れていたら、さえ子さんに出会った。
濡れた服を脱ぎな といわれる。
そして、さえ子さんが、お茶室のようなところへいれてくれる。
奥の部屋でねかせてくれた。
その部屋には、黒いおおきな、漆ぬりの机がおいてある。
机の端のほうに浅い彫り物がしてあって、
よくみると、それはさえ子さんによく似た天女のすがただった。

目ざめたらさえ子さんがふすまをあけてはいってきた。
わたしが起き上がり「これ、良いね」と机の彫り物を指差すと
さえ子さんは「ええやろ」と少し笑う。
さえ子さんのたててくれたお茶が、とろりとしておいしく、
「ああ おいしい」とおもって、眼を閉じたら、

こちらの世界で目が覚めた。

10月27日

新月だ。

昼間、高速の下をくぐる横断歩道で、
歩道をわたりながら歌をうたっている、若いサラリーマンをみかけた。
元気でいられるひとは、元気じゃない人のことをおもって元気でなくなってしまうより、
なんのきがねもなく元気でいるのがいいな、
と思った。

社長は、したしいひとのおとうさんのお通夜へ行った。
きのうの午後に「新月ってよくひとがなくなるのだよね」と話していたところの訃報だった。

10月26日

出勤途中、「エコ配の榎本くん」の後ろ姿をみた。
大きな荷台がぐーんとカーブして、角をきえていった。
いちにちじゅう、ずーっとああやって走り回ってるのか 榎本くんは
と思った。

アサミちゃんのご注文の品を集荷に来てくれたのも榎本くんだった。
あの日は、「道に迷って遅れました・・・」って言ってたんだっけな。

きょうも榎本くんに集荷に来てもらった。
とっぷり暮れた闇の中から「おつかれさまでーす」という声と榎本くんの自転車があらわれる。
「きょう、昼間にこのへん、走ってなかった?」とたずねたら
「あ、走ってました。あの時はたいへんでした!」と言っていた。

なにがたいへんだったんだろう。。とおもったけど、きかずにおいた。

新月にちかくて、そういうかんじがわんわんと漂っている。

10月25日

夜の学校へ行く前に、来年用のあたらしい手帳を買った。
おとというんと考えたけど、
さらに売り場でまた迷いに迷って、考えに考えて、
いったんコーヒーをのんで休憩してから、
やっと、買った。

色は黒。
まさか、黒をえらぶとはおもっていなかったのだけど、
ひさびさに、黒が魅力的な色にみえた。
夜の湖の色を思い出すからかもしれない。

夜の湖の真っ黒な色をはじめてみたとき、とてもいやなきもちがしたのを覚えている。
鏡みたいで、わたしの気持ちをいくらでもうつしだしてうかびあがらせて、
ほらほらほらほら って言ってくるいやな奴みたいに思えた。

だけど、4週間のあいだ、毎晩その色をみているうちに、
その黒が、かぎりなくやさしい色にみえてきた。
朝の白さも、昼の澄んだ青緑色も、くもりの日の灰水色も、
夕焼けのオレンジも、
そのあとのラベンダー色も、
ぜんぶ含んだ、夜の黒の湖の色、なんだよな、
っておもうようになったので。

学校では、型紙どおりに布を切った。
裏地を切るのは、ものすごくむつかしい。
はさみの刃がすべりにすべって、肩がこった。

10月24日

朝、ベランダの植物に水をやっていて、
「アジアンタムだけがこの環境に適しているんだな」と、しみじみ思った。
今までわかってはいたけど、気づかないふりをしていたような気がする。

たくさんの日差しをもとめる種の植物は、わたしのベランダにはむかない。
わたし自身が、たくさんの日差しをあびると都合がわるいのだから、
わたしににたような植物をおいたほうが理にかなってるんだ、ほんとは。

ところで、この、ことしのアジアンタムの健やかさといったら。
ついに自分の場所をえたとばかりに、いく周りも成長してしまった。
冬に室内にとりこんでも、置き場所にこまってしまいそうなくらいだ。
日陰でこそのびのびできる奴なんだねえ ほんとに と 
霧吹きで水をかけてやりながら思った。

10月23日

来年つかう手帳のことをいちにちじゅう考えていた。
手帳をどうつかうかということを。
なにをかきとめたいのかということを。
なにをのこしたいのかということを。
なにをつなげたいのかということを。

手帳につかう、ペンのことを。
さきがどのくらいのほそさだと、どんな大きさの字がかけるのか、
どんな紙だと裏うつりしてしまうのか、あるいは裏うつりしないのか、
どんな色わけをしたらいいか、どんな色がここちいいか、
インクの種類はどんなものがかきよいか。

かんがえすぎるくらいかんがえて、
今もっている、今年の手帳の空いたページにたくさんテストした。

来年のつかいかた、少しおもいついた。
そのとおりにはいかないかもしれないけど、
かんがえたりためしたりしてみるのは、とてもたのしい作業だった。
手帳って、なんだか、地図とか座標にも似ているかもしれない。
今じぶんが居る場所をおしえてくれるような。

10月22日

掃除機をかけていて、思い出した。
「ハーブ&ドロシー」だ。
思い出せなかった映画のタイトル。
あれは良かった、けど、タイトルが思い出せない と
妹と言いあった、映画のタイトル。

もう、わすれない。

10月21日

わたしの食事はすっかり野菜中心になって、
がんもどきがおいしい。
母がいつも買ってきてくれる、市場のがんもどきが、
おおきくて、具沢山で、格別。

油分がたりなくなりがちなので、きょうは野菜のフライをつくった。
ただ塩こしょうをしただけの蓮根を揚げたのが、びっくりするくらい、おいしい。
両親には、蓮根にミンチを挟んで揚げた。

きょうはいちにち、ゆっくり、ぼんやり、すごした。

10月20日

朝、まだつづくチラシの印刷。
昼間、それを持って、谷口氏の会社まで、おつかいに。
片道25分ほどの徒歩。
警戒しながら歩いたけれど、ほとんどじんましんも出なかった。
空気がすっきりとしたつめたさをふくんでいる。

大阪の街のどまんなか、けっしてきれいだとはいえない筈の空気だけれど、
それでも、澄んでうつくしいと錯覚してしまう。この季節。

龍くんのフォトショップの授業がはじまる時間がせまっているから、
お昼ご飯をたべておかなければと、
会社へ戻る途中にサンドウィッチを買って、
高校生のようにあるきながらたべた。
ミルクティーも飲んだ。

10月19日

夕方、いつものお得意先の谷口氏がやってきた。
チラシにはさみこむ案内状をハトメでとめる作業をみんなで手分けしておこなう。
わたしはまだ終らないチラシの印刷にかかりながら、
別の机で、別の作業を。

机の回りに三角形になって座り、さくさくと作業をすすめる社長や谷口氏。
「誰も、こんな地道な作業でこの案内状作ってるなんて、想像しないですよね」
「こういうの、たのしい」
と言いあう。
おおきい谷口氏が、せなかをまるくしてちょこんと座って、ハトメをかちゃかちゃやっている。

谷口氏「ピーコちゃん、学校にいきはじめたんやって?」
わたし「うん、そうなんです。きのう初めての授業でね。
    生徒が4人だけだったんですけど、みごとに全員バラバラで。
    だいぶん年配の女の人が一人と、20代の若い女の子が一人、
    20代の男の子が一人、それで、わたし、中年。」
谷口氏「中年て。」
わたし「よかったです。わたし以外が全員若い女の子やったらちょっと嫌かも、と思ってたから」

10月18日

26歳で夜間の専門学校に4年間通うときめたとき、
もう、学校というものに通うのはぜったいこれが最後になるはずだと思っていた。
けど、まだ、さきがあったとは。

縫い方を習いに、週に一度、学校に通うことになった。

きょうは最初の授業。
生徒は、たったの4人。
学校というものは、いつでも、とても、緊張する。

工業用のミシンというものにはじめてふれた。
想像していたよりもとてもシンプルにできている。
シンプルで、ちからづよく、丈夫そうな機械。
速度調整のつまみをよくみたら、ウサギマークとカメマークの絵がついている。
ほとんど、剥げかけの。

ウサギマークでふみこんでみたら、気絶しそうな速さだった。
わたしは、カメマークで固定することになりそうだ と思った。

10月17日

きのうのすばらしかったショウの余韻をかんじながら、
しかし仕事はすでにもう、つぎの流れへうつっている。

きょうは、プリンターで出力ざんまい。
チラシを300枚印刷しなくちゃならない。
出力をしながら、ほかのだんどりをかんがえる。

わら半紙をプリンターにならべる。
なつかしい。小学生のころ、テストの用紙はこんなわら半紙だった。
足りない枚数をシモジマで買い足したら、
色がちがう。

わたし「あたらしいわら半紙、こんなに色がちがう。」
社長 「うん、こっちの古いわら半紙、ねこさんが置いていったやつやからなー 
    残ってたやつ、勝手に使ってんねん 笑」
わたし「ってことは、5年ぐらい、置いてあったのか 笑」
社長 「それで、いいぐあいに黄ばんだんやわ。」
わたし「その色のは売ってないわけだわ。笑」

うちの事務所は、5年ほど前まではねこさんの会社のあった場所なので、
そのころからおいてあるものが、ちょこちょことある。

うちの会社の名前も、ねこさんがつけたらしい。
うちに来るお客さんはかならず、
「あの、へんなこときいていいですか。なんでそんな名前なんですか」という。
社長はいつも、
「ああ、皆さんそうきかれるんですけど、意味は、無いんです。」と答えている。

10月16日

大学の先輩である濱田さんのつくるお洋服のショウをみに、京都へむかった。
今日の日を、ほんとうにたのしみにしていた。

ものをつくるひと、
誠実に、つくることの苦楽とともにくらしてものをつくるひとの仕事をみることほど、
こころの栄養や勇気になるものは、なかなか、ないなあとおもう。

ファッションショウをみるのははじめてだったけど、
こんなに観に行きたかったのはきっと、
洋服を観たかっただけじゃなくて、
濱田さんがそれをどんなふうにみせてくれるのか、
どんなモデルさんをえらんで、どんな調べにのせて、どんなうごきで。
それをすみずみまで味わってみたかったからだ。

秋のはじめの風がふくなかで、
西日がおだやかに照らす庭にならべられた、
白い椅子にすわって待っていた。

ひびくリズムのなかで、とてもとてもゆっくりとあるくモデルさんたちが最初に着ていたのは、
真っ白な服だった。
止まりかけの時間だった。
ときどき吹く風が、透ける生地をもちあげて、時間がうごいているのがわかった。

白いなかに、ひとすじずつ、色があらわれてきて、
もっともっとたくさん、色がうかびあがってきて、
色と光がいっしょになったみたいな、光を着ているみたいな、きれいなひとたちが、
おごそかに、あらわれて、去っていく。
瞬間をぜんぶ、見逃したくないから、息がとまりそうだ。

終わってから、お友達と話していても、まだなんとなくこっちの世界にもどってこられない。
そしてそのまま、夜になった。

10月15日

昨晩龍くんがもちかえって徹夜で仕上げてくれた画像を
朝、スカイプでうけとり、
これまたよくわからないまま、つまづきながら、アップ作業をして、
ついに、彼女のたましいのこもったあのタイツたちが、
インターネットの海にでていった。

わたし「あああ〜 で〜きた〜ぁ」
社長 「やったね〜!」
社長と龍くんのおかげ。

こういうことをしようって、最初に話がでたのは、いつだったっけ?
あれからなんども社長と彼女とわたしの3人で話し合って、
そのあと、彼女とわたしのふたりでなんども打ち合わせをして、
やっと、かたちになった。
はぁ、できるんだな、こんなことが。
誰でもやっていることだから、はたからみるとどうってことないんだろうけど、
ひとのみえないところで、これだけいろいろなことがうごいていたんだな。

なんてことを思いつつ、すこし感動はよこにおいて、まだ直さないといけないところをリストアップしていた。

10月14日

きのう修正した画像を、社長のつかっているモニターでみてみたら、
ものすごく黄ばんで見えた。

昨日、何もわからない状態で必死に色を調整して、
じぶんのモニターではそれなりの色にみえるようになったのだけれど、
「あれだけいじくったあとで、これだけちがう色になってしまっているなら、
ここからどうしたらいいのだろう」
わたしは一気に途方にくれてしまった。

龍くんも来てくれて、もういちど、社長のモニターでみながら、いちからやり直すことになった。
とても繊細で微妙な色使い、キラキラ光るラメの質感、カラフルだけど渋みのある柄。
どこまで忠実に出せるか。出したい。

「この感じを、だしたい。」
「ここの色が、気になる」
というと、龍くんはいろいろな方法をおしえてくれる。
だけどもう、理解がおいつかなくなってきた夕方。
わたし「ああ〜!もう、なにがなんだか、わからなくなってきました。」
龍くん「ちょっと、替わろか。」
わたし「すみません。おねがいします。」

夜もふけてきて。
龍くん「あっもう、くっそ〜!この柄、廃盤にしようぜ!」
社長 「あたし、やろっか〜?」
わたし「社長、今日のしごと、終ったの?」
社長 「うん、もうすぐ終わる〜」
わたし「すみません。おねがいします。」

終盤、わたしにできる仕事といったら、ふたりの肩を揉むことぐらいだった。
社長の肩はとても揉み易く、揉んでいて、てごたえがあった。
ほぐれていくのがわかるので、揉んでいてうれしくたのしい。
龍くんの肩はぐいぐい力を入れても揉みこめず、
龍くんはときどき「こそばいな」と言っていた。

10月13日

龍くんに先生になってもらって、フォトショップの勉強をはじめている。
まだ、あつかいかたがちっともわからない。

だがしかし、見よう見まねで、きのう撮った写真の色修正をはじめた。
とにかく、これをやらないことには、仕事の目標が果たせないので、
どんなにわけがわからなかろうと、やるのである。。。

「ピーコ、カメラの扱いも、おぼえる?」ときかれて、
「おぼえたい!」と一瞬で答えていた。
おぼえたいという欲だけは、ちゃんと、あるのである。あはは。

10月12日

事務所で半日かけて、タイツ7足の撮影をした。
どんなふうにみせるか、どんなカットをどう撮るか考えて、
龍くんに来てもらい、あたらしいカメラで、撮ってもらった。
タイツの履き口に入っている柄を見せるカットをどう撮るか、最後まで悩んだ。

龍くんはわたしが悩んでいる間も、そとでたばこを吸いながら辛抱強く待ってくれて、
終止冷静におだやかに、シャッターをきりつづけてくれた。
かたわらに冷静でおだやかな心のひとがいるというのは、
それだけでおおきな支えになる。

しごとでこういうふうにものを撮影するのは初めてのことだった。

夜、社長と龍くんと3人でごはんを食べにいった。
龍くんに「もっと喰え!その体脂肪率ではスタミナ無いやろ?」といわれる。
「うん、無い」と言ってたくさんたべた。
並んでにこにこ見守ってくれているみたいな、社長と龍くんである。
満月だった。

10月11日

病院で、お医者に、きもちわるい写真をみせた。
お医者は「ふふーん。赤くなって、鱗状に膨張する感じやね。」と言って、
わたしの舌と脈をみたあと、本を開いてしばらくずーっと何かをしらべ、
「ふーっ」とひといきついて考えて、
また本をひらいて、

「薬、ちょっと変えてみるわ。前と似たような・・・とは、言わへんけど」
と言った。

わたしは
「あの、質問しても良いですか。おへその横辺りが、押さえると違和感があって少し痛いのはどうしてですか」
ときいた。
お医者は
「血流がとどこおってるんやね。お腹や骨盤のそのあたりというのは、静脈がたくさん通ってるところだから、」
とおしえてくれた。
わたしは、
お医者にじぶんでちゃんと質問したこと、いままでなかったな、
お医者なんてしょせん、、なんて思ってしまってたところが、わたしのなかにあったよな、
と思った。

「ほんで、お薬は、こもってる熱をとっていくようなのに、します。
熱というか、気の流れというか。熱をいれる、出す、ということをね。」

「熱をいれる・こもってる熱を出す・気・血・流れ・血流・・・・」
と、いろいろなイメージをぐるぐるさせながら、電車に乗って帰った。

2011年10月31日月曜日

10月10日

妹がやってきた。
夕飯に、生春巻きをつくった。
ライスペーパーに一瞬水をふりかけて、
キャベツの塩揉みしたのとかきゅうりの細ぎりとかトマトのスライスとか
レタスとかささみの塩茹でなどをのせて、巻いて、
甘酸っぱ辛いたれをつけて、たべる。
わたしは、ささみ抜き。

以前、肉と魚抜きで過ごしたとき、
中性脂肪と蛋白がへりすぎて医者に注意をされたので、
卵は食べることにしてみた。
茹でたまごも、すこし巻いた。

妹と、映画の話。
妹 「『冷たい熱帯魚』って観た?人殺して、切り刻むねんけど。もう、狂ってんねん。」
私 「わたし、そういうのはそんなに好きじゃないかも。。。」
妹 「おなじ監督の『愛のむきだし』っていうのもおもしろいねん。観てほしいわ。アホやし。」
私 「うん・・・」


私 「ことし観た映画のなかで、あれがよかったんやけど、タイトルが出てこないわ。。
   ほら、あの、老夫婦の、美術コレクターの。」
妹 「ああ、あれ良かったわ。何やったっけ。」
私 「うーん。なんか、『シド&ナンシー』みたいなやつ。。。」
妹 「それ言われたら、余計に思い出されへん。」

夕飯を食べて、妹は帰っていった。
妹とはいろいろあって、ぎくしゃくしていた時期があったのだけれど、
こういう普通の会話がやっと普通にできるようになってきた、と思った。

夜半、レイさんの音楽をききながら、アクセサリーを作った。

10月9日

ねこさんがわたしのきもちのわるいじんましんの写真をみて
「あらまあ ひどいな。」と返事をくれていたことに、朝気がついた。
このくらいさらっとした返しかたをする人だということを知っているから、
送ってしまったんだろう わたしも と思った。

同時に
そういえば、両親はわたしのこの病気のこと、ほとんど何も知らないんだ
ということに気がついた。
きゅうに、なんとなく、むかむかしてきた。

わたしもわたしで、じんましんが出ている時は部屋にひっこんで見せなかったし、
何がどうなってどういう状態かっていうのも話さないし、
家族からみれば、ずっと部屋にひっこんで寝ている人じゃないか?
むかむかしてきた。

昼間、母にきのう撮った写真を見せて、この病気でいろいろつらい、
ずっとつらかった ということを説明した。
めんどうくさいことや都合の悪いことからいつも逃げる父は、庭にいたようだった。

ともかく、わたしは、
体質をかえたいので 肉と魚を食べるのをやめます
と親に宣言した。
母は、おおいに賛成してくれた。

10月8日

きのうのヒーラーさんのことばをなんどもなんども思いかえした。
「じつは、怒りとかなしみというのはおなじ質のものなのね。
おなじものなんだけど、
それがつよいエナジーを持った時には怒りになって、
よわいエナジーをもったときにかなしみになるのね。
怒りがとじこめられると、エナジーが弱まって、かなしみとして出てくるの。
あなたの場合ね、何ということもなくいつもかなしい、
っていうような感じになっていると思うんだけど、
それはそういうことなんです。」

合点がいく。
合点がいきすぎる。
そういうことだったかと納得すると、
そういうことだと思ってしまいすぎることになる。
ほんとうは、そこを通り抜けようとしているはずなのに、
じぶんからそこにとどまってしまいそうになっている気がする。
過去のじぶんといまのじぶんと、未来のじぶんが、ごたまぜに、ここにいる。

昼さがり、とても楽しみにしていた展覧会をみにいった。
あるともだちの作品がほんとうにすばらしかった。
木漏れ日と月あかりと、あらゆるいきものとあらゆる生きていないものと
あらゆるかたちとことばとが、うすくかさなりあって消えかけて、
いろをかえて、点滅している。
すべてがそこにあって、ただただみのがすこともできるし、
じっと見つめていたっていい。

それをみていて、世界はほんとうにうつくしいところだな と思った。
うつくしいのに、わたしは、まだ、かなしいところにいる、と思った。

会場でまみこさんとサキ兄に会ったのだけど、そんなこんなでうまく話すことができなかった。

夜にはたいそう盛大にじんましんが出た。
医者にみせようとおもって、ものすごい状態になった腕の写真を撮った。
ねこさんに「かゆい きもい つらい」と写真つきでメールして、
すぐに「やつあたりやわ ごめん」とあやまった。
返信が来ているのにも気がつかず、かゆさに気がへんになりながらよこたわっていた。
ためこまれた怒りとじんましんには、なにか関係がありそうな気がする と
ちらりとかんがえながら。

2011年10月22日土曜日

10月7日

心と体の具合がまずい感じがつづいていて、これはちょっと誰かの助けが必要だとおもっていたところ、
ちょうどえり子さんがおすすめしてくださったので、ヒーリングを受けた。
チベタンパルシングヒーリングというもの。初めて受けた。

ヒーラーのひとがわたしの体のうえに立ったり乗ったりしながら、いろんなふうに体に圧をかけて、エネルギーを送ってくれるような感じ。
そして、体勢を変えるあいまあいまに、いろんなことを伝えてくれるのだった。
「いろんなことを思ったり考えたりしてるんだけど、いつもそれを他人みたいに見てるのね。
じぶんのことを他人みたいに思ってる」
「うさぎタイプね。うさぎって、あなぐらのなかに入ってて、ちょっと顔出して、
そのときにちょっとでも風が吹いたら穴の中にもぐってしまう。
それで、虎タイプとかライオンタイプの人からは、『弱虫』って苛められたりするんだけど、
うさぎは、ちゃんと理由があってそうしてるし、うさぎにはうさぎの強さがあるの。
だから、無理に狼のふりをしたりしなくていいの。」
「中はものすごく熱いんだけど、外側がめちゃくちゃクール。あと、こころの中ではものすごーく、人に頼らずに生きていきたいっていう気持ちが強いのに、外側はなんか、大正時代の女(笑)みたいに見えたりするのね。
そういうギャップが、なんか、おもしろいっていうかねー。」

おへそのまわりに、肉がかたくて痛い場所がある。
そこに、ヒーラーさんの手指が、ずずっと入ってきた。
わたしは目を閉じるようにいわれていて、何がどうなっているかはわからないけど、
感覚がなくなるぐらい深部までヒーラーさんの手が入ってきたみたいな気がした。
レーザー治療をうけるってこんなかんじかな、と思ったりした。

それから、そのもうすこし下ぐらいのところにも、ヒーラーさんの指が当たった。
「そのへん、なんか、かたい気がするんです」とわたしは伝えた。
漢方医の触診のときも、「ここ、なんかあるね」といわれていたのだ。

ヒーラーさんのはなしでは
「ここね。あなたの、今いちばん問題があるとこなのね。チャクラって、わかる?
ここは、第2チャクラっていうんだけど。あなたの第2チャクラ、完全に閉じてしまってるの。
この場所っていうのは、『はらがすわる』とか『はらをきめる』とか、それこそ、『はらをたてる』、そういうところでね。
エネルギーの大元なの。ここが、傷ついててね。
それは、前世で弱い立場にあったときに受けたものだったり、もう、いろいろなことがあるんだけれども、
その傷を守る為に、閉じてしまったのね。
あなたの場合は、子どものときに、じぶんで閉じてしまったのね。あなたは、正当に怒っていたのだけれど、それを否定されて、その怒りを封印してしまったのね。
『怒っている自分がいけないんだ』と思うようになって、怒っている人を見るのも嫌だし、自分が怒るのも、嫌になって。
そうやって、子どものときに、閉じてしまった。
怒りを封印するというのはね、さっきもいったけど、『はらをきめる』とか『はらをすえる』とかいうことと、すごくつながっててね。
あなたは、怒らなくなったかわりに、『決断』ができなくなっちゃったわけ。
ここが閉じてるとね、今わたしは、脚の方へエネルギーを送ろうとしたけど、あなたも、なんとなくフヨフヨっと感じていたとは思うけど、お腹でブロックされてるぶん、エネルギーがとどかないのよ。
あなたの場合は、外側のクールさによってもブロックしてるからね。
外側と、腹との両方でブロックをしてしまってるので、何ものもあなたのなかには入れないようになってるの。
ハートのほうでは、『いつまでもひとりぼっちっていうのはどうかしら』と思っていたりはするんだけどね。

だからね、封印された怒りを、ぜんぶ、ハートできいてあげること。
こうやって、左手はハートチャクラのところにおいて、右手はこっちの第2チャクラにおいて。
そして、『あいつ、やな奴だ!』って第2チャクラが言ったら、ハートのほうで『そうだそうだ、おまえは正しい』って言ってやるの。
可笑しいかもしれないけど、ほんとうに、子どもが駄々こねるようなものだと思って、
どんなことでも、『そうだそうだ』ってきいてやるの。」
とのことだった。

わたしはヒーリングのあいだ、ずっと泣いていた。
ヒーラーさんは帰る前に
「きょうは色んな風景がみえたり、色んな人の顔が浮かんだりしたかもしれないけど、
それはすべて、もう終ったことだから。」
「ヒーリングは今日から3日間つづきます。そのあいだ、あなたにしてほしいことは、あなたにとって大事なことは、
わがままに過ごすこと。寝たいときに寝て、たべたいものをたべて、嫌なことは断って。
わがままっていう言葉はわるいようにきこえるかもしれないけど、『我が儘』にあるっていう、大事なことでもあるのよ。
あと、大好きなものをわざと『大っきらい!』って言ってみるのもいいわ(笑)」
「最後に、眼のところ、やりましたけど、そのときに、あなたの『クール仮面』、ちょっと外しておいたから(笑)」
「こうやって、最後に話をするのは、目が覚めた時に、夢だったと思う人がいるからなんです。
一旦目ざめてもらって、こうして話をしてから帰るのね。またいつかゆっくり会いましょう」
と言って、わたしを寝かせて、帰っていった。

目が覚めたとき、やっぱり、全部夢だったんじゃないかと一瞬思った。
もちろん夢ではなかった。

わたし自身が一瞬でなにか劇的にかわったような気はもちろんしないし、
なんだったんだろう、わたしはどうなってくんだろう、とおもったり、
「全てはおわったことだ」と言われると逆にいろいろなことを思い出したり、
ワガママってどういうことだろ、今でも充分ワガママしてない?とおもったり、
第2チャクラについて調べていろんなことが納得いったり、
そんなこんなで、大揺れに揺れて不安定に夜をすごした。

10月6日

エコ配(自転車で集荷と配達を請け負ってくれる配送業)の「榎本くん」が最近の社長とわたしのブームである。
今日も集荷を依頼していた。
わたしが夕飯の買い物から戻った時、まだ荷物が残っていたので
「榎本くんまだ来てないんだね」と社長に尋ねると
「さっき電話かかってきてさあ、『あと10分ぐらいで着くので、下で待っててくれませんか』って言うの。
『ほんまに10分で来るの?5分なん?10分なん?』ってきいたら、
『7分ぐらいです・・・』って言うから、『7分後やね?じゃあ7分したら降りるから』って言っといてん」
とのこと。
「降りる」とか「下で待つ」とかいうのには事情があって、
うちの事務所はビルの5階にあるのだけれど、
夕方5時すぎになると、大家さんが1階の入り口の鍵を外から閉めて帰られるので、
それ以降のお客さんには、入り口から事務所まで電話をかけていただいて、
わたしたちが下まで降りて鍵を開ける必要があるのだ。

エコ配の榎本くんは、少しでも集荷を効率よくしたかったのだろう。

さて、「7分後」に降りていった社長は、それから10分ぐらいしてやっと上がってきた。
そして、お腹をおさえていた。
社長 「なんかさあ、結局待たされてさあ。
    やし、榎本くんに『もう、外で待ってるの寒いから、今度から、下についたら、呼んでくれる?』
    って言ってん。そしたらさあ。」
わたし「うんうん」
社長 「(ちょっとはあはあしながら)そしたらさあ。榎本くん。
    (上を見上げて5階の窓のほうをみるような仕草をしながら)
    『ええっ、聞こえますかねえ・・・?』って言うねん。。」
わたし「ううっ」
社長 「笑ったらあかんと思ってんけど、爆笑してしまってさあ。
   (はあはあしながら)『電話、持ってないの?!』って聞いたら、 
   『ああっ!持ってました!』って言うねん」
わたし「ううっ 榎本くん。。。」
ふたりで真っ赤になるくらい笑った。

社長は榎本くんの携帯番号を事務所の電話に登録している。
この近辺の産業を支えている、エコ配の榎本くん。
辞めないでずっと続けてほしい。

10月5日

 雑誌を読んでいたら、「大島弓子の漫画には死と食べ物が描かれている」と言っているお菓子研究家のひとのはなしがあって、うんうんと思った。
「ノルウェイの森」だと、ミドリちゃんがワタナベくんに「ポルノ映画に連れてって」と言うところだけれど、大島弓子では、そんなふうにはけっしてならない。
 川原泉の漫画だともっともっとたくさんのたべものが描かれていて、少女達は袋入りのまんじゅうやあんまんを片手に握り、胃のやすむまもないかと思われるほどにいつでも「もぎゅもぎゅ」している。
 はみだしていて、ニヒルでひねくれているんだけど、いつでも「喰うか?」とあんまんをさしだしてくれる、こころ優しき少女たちだ。
 

2011年10月17日月曜日

10月4日

 「私は自分の見た悪夢を映画にしただけだ」-----ダリオ・アルジェント


悪夢というのはときに、ひとを癒したりすることもあるんじゃないだろうか
と最近思っている。
それが映画にされたものであるなら、なおのこと、だ。

10月3日

金木犀のかおりにかんして、ひとはいろいろな思いをいだくようで、
この季節になると皆がくちぐちに金木犀 と言いはじめる。
わたしにとっては、金木犀のかおりというのは、
あつい季節がほんとうに終わるよとしらせてくれて、体をほっとさせてくれるかおり。

だけど、ここ数年、このかおりがただよいはじめると、うっすらと、何かおちつかない、
へんなイメージがうかんでくるようになっているのだった。
牛の頭の骨から金木犀のかおりがする って。
そんなはなし、どこから出てきたんだろう。
ほんとにそんなはなしがあったかな。
きいたような気はするけど、それはわたしの夢かもしれない。
それで、すなおに金木犀をよろこべない。

曇り雲のような不確かさがもやもやととりついてくるから、
真偽をたしかめることにしようと決心して、メールを打った。

わたし 「あのね、昔、牛の頭骨から金木犀のにおいがするから金木犀のにおいがきらい って言ってた?」
ねこさん「そんなんよう憶えとるな〜!すごい。」
わたし 「ああ その話わたしほんとうに聞いたんやね それ確かめたかったん。」

もはや、なんで牛の頭骨が金木犀のにおいだったのかも、
その頭骨がどこにあったものだったのかも、
ねこさんが金木犀のかおりがきらいだということも、どうでもよくなっていて、
ただその話をきいたのが実際にあったことだったかどうだったかだけが重要だった。
たぶん、10年くらい昔のはなし。

牛の頭骨と金木犀の組み合わせが、ラテン文学みたいでつよく印象にのこったらしい。

10月2日

じんましんをだしてふうふう息をしながらもスーパーへ行った。
どうしても、の用事があったから。
今年の春、ヒヤシンスを咲かせられなくてとてもかなしく残念だったので、
来年こそは咲かせたかったから。
今年の春は、ただ部屋にヒヤシンスが咲いていないというだけで、春を待ちのがしたような気持ちでいっぱいになり、
インターネットでヒヤシンスの水栽培の写真をたくさん検索して片っ端からながめて、
よけいに惜しい気持ちになったりしていたのだった。

あの頃は、つぎのヒヤシンスまで待つなんて、永遠のように先の未来だと感じていたのに、
いつの間にやら、もう目の前に球根が並んでる。

しゃがみこんで色に迷いながら、
水栽培用の、なるべく大きいのを買った。
季節にはいってすぐに買いに行ったので、大きな球根が手に入った。
白いのと、青いのと、ピンクのと、赤の球根。
今年は、そういう色の気分らしい。
どういう気分なんだろう。

夜、ひさびさにルガンスキーの演奏するラフマニノフのピアノコンチェルトをきいた。
去年いちばん多くきいたCDだ。

10月1日

夢でいちばんあざやかに見るのは、赤い血の色。
このごろ、大量の血の夢をよくみる。
それが実のところ何を意味するのかはわからないけれど、
起きたあとには、なにやら憑き物がおちたみたいな、
ある意味で爽やかともいえる気分になる。

2011年10月2日日曜日

9月30日

きのう思ったことをなんどもくりかえし、おもってみる。

乗っていた道が、どこかべつの層をはしっている道につなぎかえられて、
がこーん、と、はまったような感覚がしている、
おとといあたりから。

もし、あのひとがいなくなっていなかったら、それはおこらなかったのだろうか、
もし、あのひとがいなくなっていなくても、それはおこったのだろうか、
などと
どうしても考えてしまい、しかし、

あのひとがいなくなったということも、
「がこーん」のうちにあったのだろう、
というところにおちついた、きょうのところは。

この「がこーん」は、おおきいから、
まだしばらくゆれてもしかたない。

9月29日

かわってもべつにいいし、
むりにかわったりもしなくても、
いいし。
と、思った。

ブログのサブタイトルをあらためて読んで、
ああ、じぶんで思ってたのに、わすれてるときもあるのよ。
と、思った。

2011年10月1日土曜日

9月28日

ぴたーっと、鏡みたいにしずかな湖、っぽい日だ。
と、朝、おもった。
きのうから、新月だった。

事務所のドアをあけたときも、そんな空気だった。

あれは、社長がその年齢のわりには非常に豊かな包容力を発揮しているせいだ
とわたしはいつでもおもうのだけど、
いつものお客さんも、あたらしいお客さんも、
たいてい、社長に会いに来たひとは、誰もが、
本題のあとにぴろぴろっと、本音やら秘密やらをうちあけて帰っていくのである。

「僕、リコンしたんですよー こないだ。」
とかいう話をしていくひともなかにはいて、
そういうとき、わたしは自分の存在感を瞬時に消すようにしている。

ときどき、みえないところに回って吹きだしてしまっていることも、ある。