2011年7月30日土曜日

7月30日

電車の中でメール。
わたし 「おはよう。京都行きの電車なう」
ねこさん「同じく。もうすぐ京都うぃる」
わたし 「あ わたし高槻なう・・・」
昨日、ぼーっとしてサキ兄とまみこさんについていったので、じつは場所をおぼえてない。
ねこさんに改札で待っていてもらった。
サキ兄とまみこさんも居てくれていた。
妙にほっとする。

雨がとつぜんざあざあ降りになったり、急にかんかん照りになったり。
昨日もこんなだった。

「行ってしまったね・・・」と、車を見送ってからほうけた顔の面々。
「ラーメン食べにいかへん?」と言い出す柳田。
「食いにいくのはいいけど、ラーメンはなあ・・・」と、サキ兄たち。
あさみちゃんが、ラーメンもラーメン以外もたべられる、
ちょうどよいお店をみつけてくれた。
入ったら、
「なんかラーメン食べたくなってきたな」と、あさみちゃんもナツトくんもサキ兄もまみこさんもねこさんも、
みんなラーメンを頼んでる。
わたしだけが卵春巻きというものを頼んでしまい、なかなか来ず。
ずるずるとラーメンをすする柳田から「アンタ、周回遅れ。」といじめられる。
たしかに、わたしの人生って、なにやら周回遅れの感じがある。。

「来週からブラジルいくのよ。」という柳田。
「ちょうど良かったね」と返す。
「ほんとよ、もう、こんな状態のままで日本に居られへんわよ」
旅行前にやっておく仕事があるといって、先に電車に乗って帰って行った。

各駅停車で座って帰る。
とちゅうで大雨が降って来たり、からからに照ったりする。

大阪について、お茶でも飲もうか、ということになる。
どこも混んでいて、外のテラスでコーヒーを飲んでいたら、
しばらくして雨がぽつりぽつり。大粒。
そのまま様子をみていたら、ざあざあ降りになった。
屋根の下で、雨をみながら、立って飲む。

わたし 「なんか、ぼーっとする」
ねこさん「なんか、ぼーっとするよなあ」
雨がやんできて、うすく曇った空気の中を、ふたりとも、ぼーっと歩いて、
肩をたたいて、わかれた。
road

7月29日

あきら、あかね、ゆかちゃん、柳田、
サキ兄、まみこさん、さえ子さん、ゆうこちん、
ねこさん、えみちゃん、ナツトくん、チサトちゃん、のんちゃん。。。。
いつものみんなが集まっている。

みどりちゃんから「同じ時間にライブなの。祈りながら演奏するわ」とメール。

いつものみんなが集まってるけど、
黒い服を着たり、泣きはらした目をしたりしていて、それでお酒をのんだり、お漬け物をたべたり、している。
「全然わからない。」と言いあっている。
ふざけあって笑える時間と、涙を流す時間とが、一緒に、ばらばらに、やってくる。

「嘘っぽすぎる。なにもかも。体をみても、嘘にしかみえない」
とチサトちゃんに訴えたら、チサトちゃんが
「そうやねん。遺体がな、遺体すぎるねん。」と言う。
笑い泣く。

横浜で仕事中だった伊集院くんがあとからやってきて、もういちど一緒に棺へむかう。
柳田が「ああ〜、もう〜っ!!」とわたしの肩をぶって、離れていく。

「ねえ、ヒールのある靴を履く日がきてしまったよ。」と伊集院くんに言う。
「ほんまや。。。ヒールって、そういうことやったんかな」
「伊集院くんのせいやわ」
笑い泣く。

酔っぱらってへろへろの柳田に腕をつかまれて、ねこさんと3人で大阪へ帰る、
各駅停車で。
電車のなかでおかしなことを言ったり、知らないひとに手を振ってしまったりしている柳田。
相当呑んだ、というか、呑まれたんだな。

眠り始めた柳田が、わたしの反対側に座っている女性に倒れかかりそうなので、
必死に腕をつかんで揺り戻すのだが、何度でもむこうへ倒れ込んでいく。
両腕で柳田の左腕をつかんで引っ張っているのに。
重い。
ついに女性が席を立っていったので、
「あっちがわの壁にもたれて寝たら」とすすめて、柳田を離した。
寝ぼけて「さようなら〜」とひらひら手をふる柳田。

ねこさんは最初から、どこにも倒れずに眠っている。
柳田を離したら、どんどん寒くなって、こごえて、わたしはちっとも眠れない。
寒い寒い電車。
眠るおとこと、眠るおかまの間で。
pale blue

7月28日

やすみ。母とともに。
このところ、母ととても仲がよく、昔をおもうと嘘のよう。
母とふたりで家で昼ご飯をたべる、その昼ごはんがいつもおいしい。
そうめんと、いためものを食べて満足して部屋にもどると、
みどりちゃんからメールがきていた。
知らない人の、よく分からない話のような気がした。

サキ兄(兄ではないけど)に電話。
わたし「どうしたらいいんだろうと思って」
サキ兄「どうしようも無いねんけどな・・」
そうだそのとおりだ、わたしは何を聞きたかったのか。

みどりちゃんに電話。体がふるえてとまらない。
「わたしはこれから東京に行ってライブしなくちゃいけなくて、なんだかわたしももう何もわからないんだけど、
でも、私たちは今の、生きてる今日を大事にしようね。
帰って来たら、ゆっくり会おうね」
とみどりちゃんが言う。
そうだそのとおりだ。うん、うん、と言って切る。

何人かのひとに電話をかける。
どの人も、急に耳が遠くなったみたいなかんじで、何度も何度も、聞き返してくる。

なかでもいちばんのショックを受けているにちがいない、あの人やあの人が、
どんな様子で今いるのだろうか ということばかり思う。
ふるえてふるえて、とまらない。
みんな、どうなってしまうの?

台湾に居るみのりちゃんとスカイプで話ができたそのあいだ、ふるえがとまった。

きょう返さなくてはいけなかったルイ・マルの奇妙な映画を観てまぎらす。
夕方、ゆかちゃんに電話して「どうしてる?」とたずねると、
何人かで集まっていると。
仕事も何も手につかなかったから、と。
電話で一緒に少し泣いたら、そのあいだだけ落ち着く。
今日ほど、だれかと会いたいとおもったこと、なかったかもしれない。

夜、DVDを返しにいった帰り道、ねこさんからメール。
とりあえずお風呂にはいってしまう。
そして、ねこさんが近所まで自転車でやってきた、そんなことは今までにない。
ぬるい夜。自転車をこいで、国道ぞいの店に入る。
グラスビールをのんだ。
わたしは2杯、ねこさん3杯。
店を出て、サキ兄からのメールに返信しているあいだに、
背中のうしろでねこさんが泣きはじめて、
わたしもちょっとだけ泣いたけど、
メールに返信中だったので泣きそびれたようなふうになった。

自転車を押して歩きながらぼんやりして、
最後にちょっとだけ一緒に泣いて、肩をたたきあってわかれた。
yasou

7月27日

ぐあいがわるくて、めまいがしたりする。
なんだかよくわからないけど、PMSかな、などと思ってすこし家で休憩し、
ふわーっとしながら出勤。
社長は仕事がものすごく混んでいて、あたふたしていた。
まみこさんもわたしも、それぞれに口数すくなく、それぞれの仕事にとりくむ。

帰って、足湯などしてからだをあたためる。
night flower 6

7月26日

うちの近所に、少しどうしようもないかんじのレンタルビデオ屋があり、
その店の商品棚には「アカサタナ」別とか「国籍」別とか「監督」別などの分類が一切なくて、
そして、ものの配置がしょっちゅうかわるので、
行く度に端から端まで舐めまわす様にみていかないと、借りたいものがみつからない。
そして、目立つ所にならんでいるのがいつも、ポルノじゃないけどポルノみたいなジャケットのものばかりである。
その店に久しぶりに行ったらなぜかあたらしく「ファニーとアレクサンデル」が置いてあるのをみつけて、
借りて、観た。

そう、子ども時代って、変な事、おかしな事、このうえもない恐怖の時間と、転げ笑うような笑いの渦や、平和で穏やかな時間が渾然一体となっている。

このところずっと、夜のなかにいるような、なんとなくへんな日々。
それなりにやりすごしてやってくしかないな、と思いつつ。
night flower 5

7月25日

なくしたピアスのことがまださみしい。

夜、ベルリンからすこしのあいだだけ帰ってきているトモコちゃんと三宅くんに会いに行く。
インターネットでお店の場所をしらべて地図をプリントアウトして、
大阪から一乗寺まで電車に乗った。
一乗寺で降りてしばらく歩きながら、ふと、
ほんとうにここでいいのかな
という疑問がよぎり、よくよく持って来た地図を眺めたら、
別のお店へ向かってきてしまったことにきづく。。。。
タクシーに乗って、ただしい方角へ連れて行ってもらった。

このところ、だいじなものをなくすし、だいじなものをおきわすれるし、
まちがったところへいってしまうし。なんだかな。。。。

とおもいながら、お店へつけば、なつかしいたのしい人達が集まっているものだから、
すっかりたのしくなってしまった。

ずっと会っていなかったけれど、トモコちゃんと三宅くんのふたりの雰囲気がなんにも変わっていなくて、
いままでの間にあったはずの時間がすっぽり切りとられてどこかへ行ったみたいなかんじがした。

マヤ暦ではきょうでひとつの年が終わるんだよね、
じゃあきょうは大晦日?
あしたはナツトくんの誕生日だね、
じゃああしたはハッピーニューイヤー?
そんな話をしていた。
night flower 4

2011年7月28日木曜日

7月24日

柳田 「なんかレズビアンの子にすすめられて観たけど、すんごく良かったわよ、もうアタシ感動して。
観た方がいいわよ」
あきら「感動した。でも、なんか、ふつうの男はちょっと無理なとこもあるかも。
女のひとの、なんていうか、凄さがものすごい出てるから。出産のシーンとか」

と、周りで観に行ったという男性がゲイばかりだったので、
男のひとなんて全然いないんだろうなと思って行ったら、意外にもカップルで観にきている人たちがちらほらあったのでおどろいた。

「玄牝」と書いて「げんぴん」と読む映画を、と、あかね(あきらの姉)と、あやねと、もえこさんと、かなめさんとで観に行ったのだ。

あやね「かなめさんと、自然分娩の映画を一緒に観る日がくるとは思ってなかったわー(笑)」

たしかに。なぜこのメンバーで、自然分娩の映画を一緒に観に来ているのだろうか、
自然分娩の映画を。

この映画は、その世界ではとても有名な医院での出産をテーマにしたドキュメンタリー作品で、
これまでいろいろに偏った評を目にすることがあった。
今日この映画を観に来たのは、
実際にはどういう作品だったのか確かめておきたかったから、
というのが、いちばんの、わたしにとっての動機だったかもしれない。

結果をのべると、この映画はとても公平な視点からとられているものだと思い、
監督のことを信用するきもちになれた。
「あるものを肯定することで、べつのものを否定しがちになる」人の姿もあり、
その姿はそのままに映し出されていたとおもう。
そして、「あるものを否定」しながらも、その内において、
「死を否定することは、生を否定することである。生は死をも含むものだから」と述べる院長の姿も。


映画では、
病院では「とても危険な状態で、帝王切開以外にすすめられない」と言われた母親が、自然分娩で健康な子どもを産めたというエピソードも語られるし、
もうすぐ産まれるという日にお腹のなかで亡くなった子についての、母親のコメントも扱われる。
最後の最後でほかの病院へ行って帝王切開で産む事にきめた母親の、
自分も子どもも死なずに会えた葛藤と愛情と感謝のからみあったきもちも、扱われる。
もっともっと、ある。

映画のあとにパスタランチをたべ、
あかねのよく行く自然食品屋さんに連れて行ってもらい、(あやねはそこではみがき粉を買っていた)
cosmic wonderのファミリーセールに寄り、
日没ちかくにお茶を飲みに行って、
すっかり休日気分を満たされて、帰った。

あきらに映画をみたことをメールで報告。
あきら「産みながら『きもちいい〜』って言ってた人いたでしょ、あそこでちょっと笑ってしまった。。
どんな感じかわからないから、女の人が羨ましい」
わたし「気持ちいいって言ってる人、居たね。気持ちいいなんてことがあるのかっ?ってびっくりしたよ。
わたしは、自分が将来出産するような気が全然しないし、男でも女でもないような気持ちで観てたかも」
あきら「うんうん、うんうん。」
night flower 4

7月23日

きのう漬けたきゅうりが、まる一日でいわゆる「浸かりすぎ」の状態になっていたのが、
やけにおいしく、とまらない。
ひとりできままに洗濯やらそうじやら、きままな食事やらをしていたら、
昼すぎに両親がかえってきた。
夕飯をたべて帰って来る予定だったのだけど、早めて戻ってきた様子。
急にきもちがしぼんだ、と言っても、それほどでもないのだけれど、
それほどでは無いにしてもちょっとしぼんで、
出かけた。

栗田さんという先輩のことを、わたしは尊敬している。
派手派手しいことはちっともしないで、ずっと、こつこつと絵を描き続けている人。
ずいぶん前に、栗田さんの描いたおむすびの絵に心をうばわれて以来、
わたしにとって栗田さんの絵はいつも、「おいしい気持ちになる絵」だ。

あたらしい絵をみて、
むかしの作品のあつまったファイルをみていたら、懐かしさに涙がでてきそうになった。
途中、わたしの知らない絵もある。
医療の勉強に没頭して、ほとんど美術にふれないで暮らしていた期間の、わたしの知らない絵に、いま出会う。
あのあいだも、ずっとずっと、描き続けていたのだな、栗田さんは。
「フロリダ2001年 夏」という絵の唐突さがおかしくて、「おもしろいですね」と言ってみたら、
「あれは、ちょっと、できごころで。」と恥ずかしそうだ。
いつもひかえめで、静かな声で、だけどときどき、絵の中ではじけちゃってるところが、チャーミングだなとおもう。
「どんな絵でも、描いたらいいやん。」と言われているみたいな気持ちになる。

会場で窪田さんや宇佐見さんにあう。海野さんにも。
「前に会ったときよりも顔色がいいですね。元気そう」と言ってくださる宇佐見さんの
清潔にあざやかなオレンジ色のパンツをみていて、なぜかディー・ライトをおもいだした。

夕方おそくに事務所に寄って、携帯電話を持って帰った。
night flower 3

7月22日

ひとりの朝。
屋上と、外の庭と、中の植物に水やり。
屋上でとったきゅうりを糠床にしずめる。

いちど忘れ物に気がついて、とりに帰る。
家を出て数十歩歩いたところで、お気に入りの、はなちゃんにもらった水晶でつくったピアスを片方落としていることに気がつく。戻ってみるが、みつからない。
ほそながい水晶が半分に折れたのを、右と左にわけてぶらさげていたから、
そのペアはもうほかに1つも無いものなのに。

とてもかなしい。
しかし、今日はなぜか、その前からすでにかなしいのだった。
職場についていつものように笑顔のまみこさんに、おもいきってたずねてみた。
わたし  「ねえねえ、とくにわけもないのに、何か気持ちがかなしいとき、ある?」
まみこさん「あるよー。そんな時ばっかだよー」
わたし  「そうなんだ。やっぱ、そうか」
まみこさん「なんだろねー。気圧とかかな?」
わたし  「うん、それはあるよね」

夜9時。オランダのえり子さんと、スカイプで会議。
わたしはスカイプで「しゃべる」というのがとてもとてもへたくそで、
異常に緊張してしまうので、文字でチャットをさせてもらえるよう懇願。
えり子さん、まどろっこしくてかなわないと思ったにちがいない。
だけど、文字で話し合ったおかげで、きちんとえり子さんの言葉が残されたので、
あとで読み返すのにとても都合がいいのだった。

なんだかんだとまとめをしていると終電ちかくになったので、社長とともに急いで帰る。
駅についた頃に、携帯電話を事務所にわすれたのに気がついた。
終電に乗られないと困るので、電話はあきらめることにした。
なくしたりわすれたりすることの多い日。
night flower 2

7月21日

インターホンで目が覚める、しまった。
急いでそのへんにあるものを被り、祖母の通院につきそう。
なんとなく昨夜から胃のかんじがおかしく、きりきりしたり、吐き気がしたり。
待ち合いにて、「おねつがあるんじゃないの?」と、祖母にとても大きな声でいわれ、ほかの患者さんがさっとふりむく。

祖母の脳みそのMRI、大脳の白質が白くうつっている範囲がわりとひろい。
石灰化っていうほど白さがきつくないから、たぶん、つまってる。
けっこう、つまってる。
雲の上をあるいているみたいにふらふらする、と言って薬を欲しがる祖母にたいして、
医者も毎回、「脳がこうなってるから。。。」と、型通りに説明している。
薬じゃ治らないよと暗に言われているのだけど、あまり祖母には通じていない。
母とわたしは、祖母自身が病院に通いたがっている間は、付き添おうと思っている。
血圧がひくいと、詰まるんだな、やはり。
しかし、倒れやしなくても、あれだけつまってる、っていうのを知ってちょっとショックだ。

家にかえってからベッドにたおれこんで眠った。
起きて、あきらにもらったひやむぎを食べ(にゅうめんにして)、
夜に外へ出た。
今日から両親がふたりで旅行にでたので、しずかで、風のとおる音のよくきこえる夜。
night flower 1

2011年7月21日木曜日

7月20日

「プロとして食べていきたいのだったら、自分のやる仕事について、プロとして食べていけるだけの対価をもとめるべきなの」
という社長の話を、
むおー、そうか、そうだ、
そうだ。そうだよね・・・・と思いながら聞き、
そういったことについてまみこさんと社長と3人で話し合いつつ、
ゆりちゃんのページを作っていく作業。

わたしには、画像をつくったり加工したり処理したりということができない。
だから、じぶんの作りたいもののうち自分で作れないものを、龍くんに頼んで作ってもらうのだが、
その龍くんは基本的に事務所とは離れた場所に居るので、スカイプでやりとりをするのが常。

スカイプってふしぎなもの。
もともとわたしは会話っていうものがにがてだから、というのもあるのだけれど、
チャット状態で話をし、相手の言葉に対して自分の考えからそれずにさっと応答して伝え続ける、っていうことを、
とても難しく感じていた。
このごろ、一息おいて考える、っていうことをしようとしている。

このあいだ、スカイプで「画面を共有する」っていうことができるというのを社長から教わったところ。
ちょっと龍くんに相談したくなって、「画面を共有」してもらった。
龍くんからの返事は音声じゃなくてチャットで返ってくる。
わたし「えっと、さっき作ってもらった画像をはめてみたんですけど」
龍くん(チャット状態で)「声が小さくてきこえないです」
わたし「うっ・・・えっとー、さっき作ってもらった画像をー!きこえますか?」
龍くん(チャット状態)「はい」

モニターに向かって声を張り上げて、ひとりでしゃべる。
はずかしい、が、もちろん、そんなこと言ってはいられない。
おかげで龍くんから有意義な意見とアドバイスをもらえて、踏むべきステップがみえてきたかも。

それから、えり子さんとの仕事についての準備。
金曜に話し合いをするのだ。
資料を読んだり、いろいろなものを手に取ってみてみたり。
なにをえり子さんに聞きたいか考える。
わたしが分かっていなかったら、前へすすめない。知っていくための糸口が必要。
オランダにいるえり子さんとの間には、距離も時差もあるので、
夜にスカイプでミーティング、の予定。

仕事がおわってから、まみこさんと石けん屋さんへ。
ラトビアの製法で作られている、とても上質な石けんが、色とりどりに、ずらりずらりとならんでいる、お店。
ぴかぴかに光るような明るさのお店じゃないところが、ラトビア的なイメージだ、
ラトビアに行った事はないけれど。
ここぞとばかり、ならんでいる石けんのほとんどの香りをかいでまわる。

香りってふしぎ。
そこにあるさまざまな香りを嗅ぐと、香りの質のちがいだけで、感情がくるくると変わる。
まみこさんは、とうめいなばら色の、ばらの石けんをえらんでいて、
それがまみこさんにあまりにぴったりなので嬉しくなった。
まるで、ほんものの生のばらの花を嗅ぐような香りだった。

そのあとで、「バスソルトも気になるんだけれど」というまみこさんに、
店員さんがこころよくお試しをさせてくれた、わたしにまで。
隣同士で座って、店員さんに片手ずつさしだして、
角をとってオイルになじませてある塩を、手の甲においてもらった。
塩に、ときどき、ばらの花びらがまじっている。
自分で、ゆびさきにまでなじませたら、あたたかいお湯でながしてもらう。
すると、つめもゆびさきもしっとりとあたたかくやわらかく、ばらの香りにつつまれた手ができあがった。
「なんか、性格までかわりそう・・・」

ここの石けん、香りが良いだけじゃなく、全身につかえて、肌も髪もうるおって、すごくここちよい状態になるので、いちど知ってしまうとちょっとやめられなくなりそうなのだ。
貧乏なわたしは、この石けんがなくなったあと(それはもうすぐ)のことを憂えている。

まみこさんと、ばらの香りの手をときどき嗅ぎながら帰った。

良い香りがするとか、肌がほどよくケアされていたりする状態だと、なんだか自分がいいものになった気がする。
自分がいいものになった気がするって、案外大事なことかも。
なんていうか、自意識とかうぬぼれとは関係なく、
むしろ、自分をなりたたせているものにたいして敬意を払うこと、に近いような。。
ぜいたくっていうのはわかってるけれど、これも一つの方法、という感じ。
っていうことをお風呂に入りながら考えていて、
昼間の社長のあの言葉をまた思い出した。
I don't know what it means

2011年7月20日水曜日

7月19日

もやっとした日々のなかにも、おもしろいことはある。

きょうは、あきらと2人、
暴風雨の気配のする京都で待ち合わせて、ビーズ屋さんへ。
わたしは自分ようの材料、あきらはともだちの誕生日プレゼントにするものを購入。

そして暴風雨の中を北へ北へと歩く。
わたしは長靴を履いているけど、あきらは天然素材を編んであるような靴を履き、麦わら帽を被って、
夏休みの少年みたい。
うーむ、幾つになっても、麦わら帽とか、夏休みっぽいものの似合う人だ。
突風が吹くと、傘をささげもちながら麦わら帽をおさえている。
端っこの一部がギザギザにやぶけているビニール傘、「ねずみにかじられたの」と。
その傘、途中で突風に捲れ上がって壊れた。

あきらのともだちの、編み物作家の女の子たちの展覧会をみて、その2階のカフェでおそいお昼ご飯。
鶏肉と揚げた野菜ののっかった山かけどんぶり、というめずらしいもの。
とても夏らしくおいしかった。

食後のコーヒーをのみながら、ちょっとずつ、おたがいの話など。
あきらと初めて会ったのは、10年以上昔だけれど、
今まで一度も2人で会った事は無かったし、じっくり話したこともなかったのだった。
今までしらなかった、意外な一面のかずかずを知って、おもしろくうれしくなる。
やっぱり、こうやってじっくり話してみないと、わからないことっていっぱいあるな。
昔から出会っていて、今ようやくお互い知り合えるタイミングが来たっていうのも味わいぶかい。

あきらの部屋はさっぱりきれいに片付いていて、
かわいい動物の置物とか、きれいな石とか、
花とか、きれいな音の鳴るいろいろなウィンドチャイムとか、いい香りのするものとか、
そういうものがあちこちにおいてある、夢のような部屋。
少しドアを開けていると風が吹き抜けて、部屋中のウィンドチャイムが鳴る。

お茶を飲み、食卓にかざられた薔薇やチェリーセージをながめたりさわったりしながら、
さらにいろいろ、あきらの話をきく。
ゲイになった経緯含め。
(あきら「これ、もう、全員に話してるわー」)
そして、これからのことについて。

わたし「なんだか今、わたしたちどっちも、同じ感じのとこにいる感じがするね。変わり目
    のところにいて、これから切り開いていかなきゃならないってところ。」
あきら「あー、なんか、昔は、自分がタロットカードみたいなもの買うなんて、夢にも思っ
    てなかった。こういう感じの絵とか、大嫌いやったし。」
わたし「私もー!こういうものに頼るなんて、人として終わり、みたいに思ってたし、スピ
    リチュアルなものに対して、よく分かってもないのにものすごい嫌悪感とか、あった」
あきら「うんうん 笑 そうそう 笑」

最後にわたしの傘も壊れた。
大阪に用事のあるあきらと一緒に帰ってきた。
数年後、たのしみ。と思って帰った。
stormy outside

2011年7月19日火曜日

7月18日

材料を買いにでかける。
お金があまりないので、吟味するのにたくさん時間をかける。

わたしにとって、色はとても大事なので、
なにかわくわくする気分とか、強く守ってくれる色、おちつきを与えてくれる色、
なにがしかのイメージや意味をもたらしてくれるような色を、気がつくと選んでいる。
このごろ惹かれるのは、深いブルーとか、緑。
これはあれに合わせて、あんなふうにかたちづくって・・・と、いろいろなイメージがうかぶ。

色そのものも大事だけれど、組み合わせはもっと大事になるので、
一度選んだものを後で返すということも、何度もする。
こうやって素材を選んでいる時間は、すぐにすぎてしまう。

家に帰って、いざ、思い浮かんでいたものを触れられるものにしていく作業。
あれ、うーん、今日も、なんだか、ピンとこないみたい。。。
なんだろう、これ。
ぜんぜん、自分じゃないみたい。。
今は、いままでとちがう感じのところへ行きたいっていう思いが強すぎるのかな。
だけどそれは、「自分の知っている他人になること」とはちょっとちがう。
今わたしがつくってるものって、「なんとなく知ってる誰か」をなぞってるみたいに見えて、
心のなかにクエスチョンマークと違和感ががんがんとかもしだされてる。

私の行きたいところは、たぶんまだ自分でみたことのないところ。
そこへ行くのに、いろいろな場所を通りすぎないといけないのかも・・・
そう覚悟して、試作を長くしてみよう。

きょうは5時間かかって2つ、どちらも試作。
the tricolor

7月17日

一昨日、昨日と、なんとなく冷えた感じをひきずっていたので、湯たんぽを入れて眠ったら、
上半身からたくさん汗をかき、たまっていたつめたいものが出て行った感触。

つくりたいものがあって、つくっているのだけれど、
どうも、つくるまえに描いていた像が、つくっているうちにどんどん曖昧になってきて、
なんとなく安易なほうへ流されて行ってしまう。
いままであまりそういうことに出くわして困った経験がなかったので、
何度も、はたはたと、たちどまる。
思い描きかたが足りないのかな。。。
standing rose

7月16日

夜中、体が冷えてねむられず、レッグウォーマーをかさねた。

昨日なんであんなにひがんでいじけていたのだろうか。。。
ここしばらく、いじけるということをしていなかったので、いじけるのが楽しかったのかもしれない。。
けど、まったく不必要だったな。
自分の中の子どもっぽさにふりまわされた気分。

そういう気分をひきずって、なんとなく、心の巡りがおかしい感じ。
the color of the sea

2011年7月16日土曜日

7月15日

休み。しばらく休みが続く。
ぼんやりとしてしまう。
不意に、昨日つくった伝票のまちがいに気がついて、社長にメールしたりする。
生活の変化やこれからの計画に対する心の動きがおおきくて、
ここしばらくは頭から湯気のたつような毎日だったので、
今日はちょっとぼんやりしてしまうことをゆるそうと思った。

夜、伊集院くんの誕生日パーティ。
着いたらまだ準備中で、みどりちゃんの焼いたクッキーを六芒星のかたちにならべるのを少し手伝う。
また、べつの机には、とうめいのゼリーのなかに、銀箔でくるまれた球体の入った和菓子が、
ブルーや黄色やとうめいのアクリル板のうえに乗っかっていた。
そして、おおきい机には、あきらの作ったさまざまなごちそうがならんでいる。
キャンドルがともされて、
みどりちゃんがグラスハープで誕生日の歌を演奏して、
そこへふつうにあらわれて、「えっ なにこれ すごい」と、とくにテンションがかわらないかんじでおどろいている、伊集院くん。

なぜか、全員が列にならんで、ひとりひとり伊集院くんと乾杯した。

みんなでごちそうをいただく。
わたしはワインをひさしぶりに飲んで、酔った。
とうめいなゼリーに閉じ込められた銀色の球体のなかには、こしあんにくるまれた梅の餡が、はいっていた。
甘酸っぱかった。

さて、まわりにいる、くちのわるい(あるいは、ときにくちがわるくなる)ゲイともだちについて。
「何あんた、今日。黒木瞳みたいやん」
「その(靴下をなんまいもかさねたうえにビルケンシュトックのサンダルをはいている)足、
一生そのままなん?一生、ヒール履かれへんの?」
いろいろからかわれる。
ゲイ友とはいえ、男性から女っぽいかっこうやら行動やらを推奨されると、とたんに反抗的な気持ちになるわたし。
お酒のせいもあってか、むくむくと子ども心がわきあがってきて、いじけた気持ちに。
そういう自分がばかばかしすぎておかしくなりつつ、かたや、真剣にいじけて、帰る。
帰るまえに、さえ子さんのうつくしい長い髪をさわって、ちょっと癒された。

あきらからメール。「もっと話したいことあったんだけど」
わたし「じゃ、こんどあおうか。きょうは柳田たちにからかわれていじけてんの」
あきら「柳田はいつものことだから、気にするだけ無駄だよー」
わたし「うん 柳田はいっつもいっつも。」

わたしにやさしいゲイ友、あきら。

さて。
伊集院くん、不惑の歳、おめでとう。
すごいことばかりやっているのに、くだらないことばかり言ってる伊集院くんが好きだよ。
where is the sky

7月14日

朝はひとり。
それから、英子さん。
それから、まみこさん。
そして、龍くん。
そして、社長が広島から帰ってきて、
これで事務所にはじめて全員があつまった。

これからどんなふうにやってくか、話し合う。
焦って設備投資をするよりは、今ある設備を最大限に活用していこうということになって、
眠っていたパソコンを龍くんに再インストールしてもらう。
当面のわたしのするくらいの仕事は、このパソコンでできるようになったはず。

夜おそくなって、全員腹ぺこでふらふらになり、カレーライスを買ってきて、食べる。
「みんなでこんなふうにカレー食べてるの、楽しい」と言ったら
「ふつうは、仕事が遅くなってココイチのカレーなんて、下の下の話やねんけどな」と龍くん。
むだにだらだらしてしまっちゃ、いやだけど、
こうやって皆はじめてちゃんと顔をあわせて、
仕事の一段落つけて、汗たらたらかきながらカレーライスなんて、
いやでも結束がかたまるってものではないですか。
who(who)

2011年7月14日木曜日

7月13日

朝、ごはんを食べ、水やりをし、階段を拭いて、
すこし静かにもぐるようにかんがえてから、出勤。

これからはじめていくふたつの仕事についてのこれからの計画(朝かんがえていたこと)を、社長とかたりあう。
コストの計算のためにいろいろなことをしらべる。
お昼ご飯はいつもたいてい、うめぼしのおむすびと、もうひとつのおむすび。
きょうのもうひとつのおむすびは、黒米のおむすび。

夕方、ゆりちゃんがあらわれる。
このところなにかと出会うことのおおいわたしたち、仕事のうえでもパートナーシップをくむことになったのだ。
ゆりちゃんの新作があがりつつあり、そのおもしろさとうつくしさに感嘆する。
このよろこびをいちはやく共有できるなんて、とても贅沢なきもち。

ゆりちゃんがイメージを形にするときの、その精度は、
ゆりちゃんのきもちの濃さと、ゆりちゃんの行動の筋の通りかたをそのままあらわしている。
まよいつつ、気遣いもしつつ、だけど、芯をまげることは結局のところぜったいにしないようになっている、
ゆりちゃんの物事のえらびかたが、そこにすべてあらわれている。
はやくみんなに見せたいけれど、そのために、ゆりちゃんも私も、さまざまな準備が必要。
(たのしみに待っててくださいね。)

そして、この数日は、すぐそばに、まみこさんの姿もある。
突如として、はなやかに、活気づいている事務所。
すうーっと、何の障害もなくすいつけられるように、みんなが集まってきた。
わたしたち全員、初めての仕事で、もちろん先もみえなくて、
それぞれに、頭と心と体とがばらばらになってしまいそうな緊張感の、毎日。
だけど、みんなで笑うと、すらっとすこやかになれる気がする。

夜、みんなでごはんを食べた。

縁っておもしろくてふしぎ。

wall and roof

2011年7月13日水曜日

7月12日

ここ1ヶ月くらい、かんがえていること。
じぶんが「ある考え」をまっとうだおもうなら、
ほかのひとが「その反対の考え」をまっとうだとおもうかもしれない、ってことも、想像がつく。
もしじぶんが、ほかのひとから、ある考えを押し売りされたら、
それはとても暴力的なことに感じられるだろう。
わたしは、もし、誰かにそういう形の暴力をふるわれたら、そこから逃げたり、そのひとを避けたりするだろう。

でも、暴力とはいえないほどの、一見そうとは思えないほどの何か、
暴力ではないけれど、もやもやとなにかを強制するコミュニケーションもあるなって思う。

たとえば、自分が感じている危機感を、ほかのひとにも感じて欲しいっていう気持ち。
根底にあるのは、じぶんや他人をまもりたいという気持ちだとおもう。
「このことを知らないひとを心配している。知ってほしい」という気持ち。
それは、だれのこころの中にもある。私のなかにもある。

その気持ちが、「自分はこんなにも危機感をもっているのに、他の人は同じようにはおもってくれない」というふうに傾いてくると、ちょっとあぶない気がする。
そのことについて、このところずっとかんがえていた。

今日ふっとおもったことは、
「他人を心配しているようにみえて、ほんとうは、『私は怖い。助けて欲しい』ということを言っているんじゃないかな」
ということ。

それは、だれのこころの中にもある。私のなかにもある。
そういう気持ちになってきたら、「あなたはあぶない」じゃなく「私はこわい。私はいやだ」と言うようにしてみようかとおもう。
というのが、とりあえず、今の時点での、しめくくり。
image of the tree

7月11日

よく眠れたけれど、
昨夜にすこしかけた冷房でからだが冷えたらしく、
起きぬけから鼻水がつつーっとたれる。
胃の中もまだすっきりしなくて、胃のまわりの筋肉がかちこちになっている。
せなかがつめたく重い。
白湯をのんで、おなかをあたためる。
白湯をのむといつも、お腹のなかがぜんぶ溶けてながれていくような感じがして、きもちいい。筋肉もほぐれる。
つめたい背中に厚手のストールをかけて、
ベランダのルッコラとパセリをちぎってむしゃむしゃたべた。
梅干しを白湯にとかしてのんだ。

ゆりちゃんからメール。
9日の日記について。
ゆりちゃんも、私のつぎの相手は「えり子さんみたいなひとだとおもってた」んだって。
「えり子さん、その人に90%くらい近いと思ってて、そのことを伝えようかどうしようか迷ってた」って。
やっぱり。
ゆりちゃん、すごい。

しょうじきなところ、私は、そのひとと出会うのはまだまだ先だろうなと思っている。
私のほうに、まだ出会わないでいいかもっていう気持ちがあるようにおもうから。

おそくまで汗をながしながら仕事に没頭しているうちに、
すこし風邪っぽかった体はすっかりよくなっていた。
仕事のなやみはもちろん山積み。
それでも、これからがんばろうと思えるのが、なかなかいい。
wall of a factory

7月10日

とても暑いので、昼間に一度くつしたを脱いでみた。
冷え取りをはじめて以来、裸足でサンダルを履くはじめての日になるかもしれないと思いながら、
足のつめを水色に塗ったりしていると、
しばらくして足がうっすらと痛くなってきたので、やっぱりくつしたを履いた。
冷え取りというのはどうやら、やればやるほど、どんどんからだから冷えというものが外にでてきやすくなるのらしく、私のからだもそんなふうに変化してきているのをかんじる。
はじめてしまうと、あとには戻れないものかも。

午後の2時間ぐらいを家ですごしてしまうと、外出するきもちがどんどんしぼんでくるものだけれど、
行かなかった場合の後悔を想像して、ようやくうちを出た。
関西ではおおきいといわれるアートフェアをみに。
なぜみに行ったかって言うと、
それがどんなものなのかみたことがなかったので、好奇心があったから。
そして、もしあたらしい何かを見つけてじぶんにとってよい刺激になったら、いいなと思ったから。

結論としては、どちらもまあまあ満たされた。
その世界がどういうものか、この目でたしかめておいてよかった。
作るがわのひとと、売るがわのひとと、買うがわのひととの間にある、
まじわらない層みたいなものをみてきた感じ。
それをいやだと思うと、この世界には属していられない感じ。

身内の関係でしりあいのギャラリストのひとに会って、
ある作家さんにひきあわされたのだけど、
「こちら、○○ちゃんのお姉さん」と紹介していただいた途端に
その作家さんに爆笑された。
わけはしらない。
「妹がお世話になってるんですね」と挨拶した。
(あとで思い返すと、気分がよくなかった。)

そこに属していることをとても喜んで調子にのっている感じの人と、
ちょっと受け入れられないところもあるけどなんとか自分のゆるす範囲でできるだけの力を尽くそうとしている感じの人、両方みた。
「売れすじ」にこびないで、いいと思う作家さんの作品を、
ただ陳列するっていうのではなく最大限の努力で「よりよく」みせようとしている画廊があって、
さいごにその部屋へもういちど寄って、作家さんとギャラリストのかたと話して、
きれいな空気をすった気持ちになって、

帰った。

やっぱり、作品は、展覧会でみるのがいい。あたりまえだけど。

父の誕生日で、ステーキとケーキがでた。
たべている最中から、ああ、しんどいかも、とおもっていたけど、
案の定、そのあと体じゅうがおかしな感じになり、眠られず。
おなかにずっと手をあてて、少しだけらくになったけど、
あまりにしんどく寝付かれないので、夜中にすこし冷房をいれた。
Adiantum raddianum

2011年7月10日日曜日

7月9日

昨晩、うちわをぽとっと落としたところまでは、覚えてる。

窓辺でちりちりに焼け、ベランダへ避難させたワイヤープランツ、
豆みたいな葉っぱがすこしずつ芽を出して復活しつつある。
アジアンタムは森のようになってきた。
あっちこっちへ好き勝手に伸び放題だけど、かたちをととのえないでそのままにしておこう、好きなようにバランスをとっているのだろう。

午前と午後のかわりめの時間、ベランダと部屋の間で、窓をあけて、
自分だけの小さいベランダの庭をみながら読書をしていたら、
もうもうとした暑さの中にときどきふわっと風がとおった。
この家に8年住んで、ベランダと部屋の間の場所で夏の時間をすごしたのは初めて。
ちょっと気に入った。

遅い午後に、社長とえり子さんと、オーガニックランチ。
社長、ヘレカツ丼、私、だしまき定食、えり子さんは特別ベジタリアンメニューの、大豆ミートのからあげランチ。
玄米が、あまくておいしい。
明日アムステルダムへ帰って行くえり子さん。
お店の女主人さんがわかれぎわにすこし、目をうるませていた。

家に帰るとなぜか水泳のあとのように眠く、
夕飯(やきそば)をつくってたべたあと、いつの間にか寝入ってしまった。

夜中に起きてお風呂に入って、思い出す。
いぜん、目にはみえないものを観るひとが言ってくれたこと。
あなたのつぎの相手はこんなひとだよ、っていう、そのひとのこと、
年齢、性別、職業、外見、どれもすごーく、えり子さんと一致してる、気がする。
セクシャルアイデンティティだけが、唯一のちがうところで、
だけどそれってものすごい大違いだった、ふふふ。

「そのひととはね、出会ったらお互いすぐにわかるよ。」って言われたんだけど、
そのひとに、いま、私は、ちかづいていっているんだろうか、遠ざかっていっているんだろうか。

「そのひとの特徴」をひとに話すと、たいていのひとが
「あー、それ、すごくわかるような気がする!」と言う。
ゆりちゃんなんて、
「あー、いま、(その人の姿が)くっきりみえた」なんて言ってた。

たぶん、自分の軸からぶれないで生きていたら、そのひとに会えるはず、そのうちに。
どうなるのか、おもしろいし、たのしみ。
9

2011年7月9日土曜日

7月8日

空気のぜんぶがもったりと熱をもっている。
先輩あらため社長が一日出張なので、一日ひとりで留守番なのだった。
「ひとりで、ちょっとゆるーく、やってみてー」と言いおいて発った社長。
ゆるーく仕事、って、どうやるんだっけ。。。。

出だしはそれなりにゆるさを演出(?)していたのだけれども、
時がたつにつれ、だんだんとギンギンになってくる私。。。

うまくいかないことだらけ、にぶつかって、
首すじがキーンとなってきたり。
出張中の社長にむけて「問題発生ですー!うんたらかんたら」とメールを送る。
ひとりですったもんだしていた。

すったもんだしながら、この仕事は、その、すったもんだこそが肝心なようだ、
と、ちょっとずつ気がついている。
誰もやったことがなくて、誰も答えを知らなくて、どうなるかわからなくて、
でも、それを試していろいろ気づいて、というのが今回の仕事。
「失敗しちゃいけない」っていう気持ち、このことに関しては、いらなかったかも。
たぶん、そう。

帰ってから、ものすごくひさびさにアイスをたべた。
冷え取りをはじめてから、アイスはまずたべないのだけど、
きょうのアイスは、ちょっと、いいものだった。
ラズベリー味。
jardin cactus

2011年7月7日木曜日

7月7日

休日。
目が覚めたら正午をすぎていて、喉も痛く、ちょっと憂鬱なきもち。
いろいろな予定を変更してゆっくりすることにしようと思う。
もう手慣れた鼻うがいをしたら、少しすっきりした。

おなじく休日の母と久々に会う、同じ家で暮らしているのに。
お昼をたべながら、お茶をのみながら、夕飯をたべながら、お互いの仕事の話をする。
そういえば私たち(母と私)の会話って、仕事の話が7割かも。
話しているうちに、目覚めたときの憂鬱さの色がささっと変わった。

母の箪笥のなかの、ほどいた着物の生地をすこしみせてもらう。
裏地をほどいた、絹のはぎれを腕にのせてみると、するっとして、やわらかくて、あたたかい。
絹って本当にすばらしい生地だ。
こういうことが、母と私の残りの2割の会話のうちの一部。

さかえちゃんのためにブローチを作った。
女の子らしいひとだから、ちょっと抽象的なものにしようと思った。
白、ターコイズブルー、群青。
石だらけのブローチ。
まだ彼女には見せてない。
For Sakae

7月6日

扉の影
the door

7月5日

蟻がたくさん行き来していた
there are many ants

2011年7月4日月曜日

7月4日

仕事場は、エレベーターのないビルの5階にあって、
昼間にプリンターのインクを届けに来てくれた宅配のひとが、ふらふらしていた。
「いやー、3階ぐらいから、ばてちゃって」と。
「すみませんー。大変でしたよね」と言ったら
「いえー、仕事ですからー。」
と、ふらふらと帰っていった。
先週見たときは、とても元気だったのだけど。

夕方にあらわれたお得意先さんは、
ほっぺたに日の丸みたいに血のにじんだ絆創膏を貼ってあらわれた。
「カミソリで切っちゃって。」
と言って、話のあいだずっと絆創膏をさわっていた。

夏だし、なあ。
夏だからかなあ。
みんなで、この波をこえよう。と、心の中でちょっと思った。
Der Narr

7月3日

きのうの夕方の電車の中で、パーティにむかいながらの会話。
ゆりちゃん「(とつぜん)ねえねえ、あの、三角が2つかさなった星って、どういう意味があるの?」
私    「えっ、上向きの三角と下向きの三角の合わさってるやつ?ユダヤの星?
      えーっと、上向きの三角が、男性性で、下向きの三角が女性性で、
      それが統合された状態をあらわす、みたいな意味だったとおもうんだけど。。。」
それって、まるで、その夜のさえ子さんとえり子さんのパーティについてのことみたいじゃないかな。

ベジタリアンでエネルギーのみなぎったえり子さん。
自称「ばりばりの肉食だがココロは草食」のさえ子さん。

そんな、色々な意味で正反対のおふたりが一緒にパーティを催すなんて、
そういうことがおこる日が来るなんて、すごい時代になってしまったという気がする。
(おふたりにはとってもにているところもあるけど、それをさえ子さんに言うと叱られそうだ、
しかし言う、真に繊細なところが、にている。
本当に繊細だからこそ、あんなに、ひとにそれを気配りと感じさせないほどの気配りができるのにちがいない)

あの日のあの場所には、
衣にかかわるひと、
食にかかわるひと、
住にかかわるひと、
美術にかかわるひと、
音楽にかかわるひと、
みてきいてことばにしてたのしむひと、

それぞれの役割をするひとたちがすべて揃っていたし、
あの時間には、それぞれのひとたちがまざりあうことで、なにかよくわからないものが育ってた。

そういうひとたちをたまたま呼び寄せたさえ子さんとえり子さんの並ならぬ技、
ふたりのあいだに流れている生き物みたいななにか、
みたいなものを感じて、なんだかやけに感動してしまいました、
っていうことを言いたかっただけなんだけど、
どうも変な言い方になる。

注:あとでしらべたら、上向きの三角が女性原理、下向きの三角が男性原理の象徴、でした。
beneath the Light

2011年7月3日日曜日

7月2日

1日生まれのひとと4日生まれのひとにあてて、
ちまちまと贈り物をつくり、
ギネスビールを買って、
おそるおそる、その場へおもむいた。

ひとりで居るのがほんとうに好きだけど、
ひとと出会って緊張しながら話をしている時間もおもしろい。
ひとがあつまったときに流れている力、とてもおもしろい。
きょうあつまったひとたちを呼び寄せたひとたちの力、ほんとうにおもしろい。

ひっそりと、作品に似せたケーキをいただいてしまった。
涼しいピンクと水色とうすむらさき。
ふるえた。
What a sweet thing

7月1日

新月、日食。
自分のなかにいろいろ残っている、古いものが外に出てきている気がする。
え、まだそういうものが残ってたの、持ってたの?って気づかされてちょっと落ち込んだりもするけど、
新しい自分がやってくることのほうががたのしみだから、今のうちにじゃんじゃん出しとくのがいいかも、と思う。

あたらしい仕事、毎日、すべてがパニック。
そして今日は、メジャーをひとつこわした。

だけど、それでも、これから先がたのしみ。
じっくり、じっくり。じりじりとやっていく気。
small park