2012年1月31日火曜日

12月14日

英子さんとうちあわせをする。
英子さんの、これまでの、もの作りについての物語をきく。
いままでふれたことのない、英子さんのある一面。
「なんとなくずっと前から知っているひと」の
こころの深いところに不意にふれること、
そういうことは、起こるようで起こらなかったりするものだから、
とてもどきどきした。

わたしは、どうやら、そういった、「ふれること」を原動力にしているような、
気がしてきている。

12月13日

なかなかゆっくりあそべないツキ(姪、5歳)と、しばしあそぶ。
わたしの部屋へはいってきては、いろんなものを見たがるツキ。
「コレナアニ?」がとまらない。

「なんで こんな キレイものいっぱいあるの?」

そうか。
「キレイものいっぱいある」のか。
なんだか、
「ああ ごちゃごちゃしてきた かたづけなくちゃ かたづけなくちゃ」っていう気持ちばかりで、
わからなくなっていたな。

12月12日

2日間ひたっていたお湯みたいな感覚の余韻にひたりながら、
仕事、仕事。
社長と打ち合わせ。
社長は、これからの会社の体制についてずっと考えつづけている。
ものを、現実を、どんどんつくりだし、ととのえ、ならべかえ、
「どうしたら。。。?」って悩み、ひらめき、実行する。
そういう、ひととして生きるための、だいじなすじ、
社長のもっているそのすじは、とても密に、ぎゅっとつまっている。
それをみているのがとても好きだ。
わたしはわたし自身がそのことを学ぶためにここへきているんだと、ひそかに感じる。

12月11日

ホテルの部屋で目をさます。
ホテルの部屋って、禁煙の部屋でも、昔にしみついたような煙草のにおいがしている。
少しだけヨガをして、高円寺へ。
「おとうさん」(まり姉のだんなさま)がむかえにきてくれて、
A-ne cafe という、ずっといきたかったお店へ連れてってくれる。
メニューをみながら、なにがおいしいか、おとうさんにたくさんたずねる。
まあとどのつまりは、どれもこれもおいしいんだ、わかってたけど。

そうして、わたしが「○○にしようかな」って言っても、「やっぱり○○にしようかな」って言っても
「それはいいですね!」って言ってくれるおとうさんと、
何を注文しようかあれこれと話しあっているうちに、
まり姉が登場。
かろやかであたたかそうな色のポンチョをはおっている。
おとうさんは、ぽっちゃりと安心感のあるからだに、みどり色のコンバースを履いていて、
それがやけにかわいらしかった。
そう伝えると、
「は、みなさんそうやって褒めてくれるんです。これ、安くって、買っちゃったんですけど」
と、背中を、かくっ、かくっ、と折り曲げながら話してくれる、おとうさんである。

おだやかでやさしいおとうさん。
でも、夜見る夢の中では「革命軍に入って闘った」り、
「『あなたは悪者なので逮捕します』といわれて逮捕されてしまいました」り、
いろいろと激しいおとうさん。

おとうさんのことを話すまり姉がいつもうれしそうなのもいい、とおもっている。

いろんな種類のおいしいパンと、おいしいサラダと、おいしいカフェオレを飲んで、
まり姉とひっそり、だいじなだいじなはなしをかたりあって、
murmur magazine新刊を買いに新宿へ。おとうさんとはそこでわかれる。
「おとうさんは新宿がだいすきで、そこから外へでると、しゅんとしちゃうんだよ」とまり姉。

まり姉とふたりで外苑前へ。ワタリウム美術館の重森三玲展をみる。
ああ、きのうの伊集院くんやあやねの作品でかんじていたものが、
きょうもつながってしまった。

「おなじだね」とまり姉にいうと、
「うんっ」と、ちょっと目をおおきくしてちからづよくこたえてくれるまり姉だった。

ゆれうごいていく庭の映像にみいっていたら、
あやねが登場。
そして、滝田さん(まり姉のバンドのベーシスト)も。
4人で、すっかり暮れた外苑前の坂道をのぼってく。
「きょうは、すっごくおおきな買い物しちゃって、どきどきしてるんです」っていう滝田さん。
「あたらしいベース、買っちゃいました〜」
滝田さんの目がちょっとおおきくなって、背筋がくいっとのびる。

あやねとまり姉は、きのうはじめて出会い、
滝田さんとあやねは、きょうはじめて出会った
とはおもえない、のんびりとおだやかなお茶の時間。

東京駅であやねとわかれ、
まり姉とふたりで丸の内をあるいた。
光 について、
ひっそりとはなしをした2日間だった。
からだのなかを、お湯と光であらわれたようなきもちに、ちょっと、なっていた。
そういうことって、やっぱりちょっと、秘密にしたいものだ。

2012年1月24日火曜日

12月10日

朝、東京へ向かった。
新幹線のなかで、うとうととしていると、携帯電話がぶるぶる鳴る。
とろうとおもったら、電源がきれた。

このごろ携帯電話の調子がわるいから、
ひととの約束はちょっとだけ、いちかばちか、なところがある。
電源をいれなおすと、さっきの電話は伊集院くんからだった。
メールも2件。伊集院くんから。
「ピーコ、今日東京きてるの?さっき電話したけどつながらなかった」
「新幹線かしら」

「うん、ちょっと携帯電話のちょうしがわるいのよ 昼すぎに東京について、
ゆうがたタカ・イシイへいくの それからタケ・ニナガワのオープニングにゆく予定よ
清澄白河であえるかしら」
「そうね 清澄白光で 会えたら良いね」

「白光」って、わざとなんだろな 伊集院くんは
と思い、電池の節約のために電源を切った。

わたしはひとり、清澄庭園の角にある図書館で、しばらくぼんやりとして、
そのまた向かいに偶然みつけたお店で、お茶を2種類買う。
お茶の葉をながめていたら、何かちょっとざわめくものがあったので。

タカ・イシイギャラリーで、まり姉とおちあった。
伊集院くんの作品を、だまってみる。
伊集院くんの作品は、とてもここちよく、とてもしずかな世界へ、
わたしたちを連れて行ってくれた。

ここへくると、どんなときでも、しずかにわたしを癒し、
ふかく満たしてくれるような場所。
その場所を、この色を、形を、光を、わたしのこころの中に、しまっておこう と思った。
いつでも、ここへ帰ってこれるように。
だから、じっとずっと、みていた。

まり姉も、なんとなく、そんなような感じだった。

伊集院くんはすこし遅れてやってきた。
「いいね、作品」と伝えた。
口では、そのくらいのことを言うのがやっとだ。

伊集院くんは、今夜のうちに京都へかえるという。
レイさんの誕生日を祝うパーティのために。
レイさんは、もう生きてはいないけど。

わたしとまり姉は、あやねの作品を見に、移動した。
電車のなかで、近況をぼつぼつと語りあったりして。
まり姉のさいきん通っている美容室の美容師さんがいかにすばらしいか。
「じぶんで髪を切ってったりするとね、『それ、いいね〜!!』って、
すんごい嬉しそうに褒めてくれるんだよ」
「そんなひとなら、ちょっと切ってもらってみたいな」

あやねの個展会場はすこしにぎやか。白ワインをいただく。
いままでみたことのないような変化が、あやねの絵にうまれている。
あたらしい世界。
むずむずとわきたつようで、でも、やさしく、かぎりなくちかしい世界。
それは、わたしがいつも、あやねというひとそのものに感じていることだ。
かぎりなくちかしい。

かな子さんにも、またここで会えた。
みんなで食事。
レイさんの誕生日で、満月で、月蝕で、赤い月がでていて、
いままで知らないものどうしだった西のともだちと東のともだちがいりまじり、
すべてが満ち満ちるような夜だった。

12月9日

「僕、きたよ!」とアメ(甥、8歳)。
ああ、8歳って、まだこんなになついていてくれるんだな、と思った。

かけよってきてわたしに抱きつくツキ(姪、5歳)。
ついつい、アメよりもツキによけいに触れて抱いてしまうわたし。
ほんの一瞬、ちょっとだけさみしそうな顔をするアメ。

人見知りしてるのはわたしのほうなのか?

ジョビン(義弟、50歳)は朝から、ダイニングテーブルでパソコンをひらいて、
紙に絵を描いている。
くろいサインペンで、紙にコマわりをして、
さらりさらりと、あざやかな筆致で描いている。

ジョビンの職業は、テレビのCMディレクターだ。
絵コンテを描いている様子。

わたしの義弟たちはどっちも、絵を描くひとたちだな
と、描いている背中をみながらコーヒーをいれた。

12月8日

きのうの夜おそく、妹と、妹の夫のジョビン(4分の1マレー人、4分の3中国人。)、
それに甥のアメ(8歳)と姪のツキ(5歳)がやってきた。
あつい国、マレーシアから。
妹が結婚したとき、アメがおなかにいたのだから、
妹はジョビンと結婚して9年になる、ということだ。

姉妹のなかでさいしょにこの妹が結婚することになったとき、わたしともうひとりの妹は、
「夫になるひとがマレーシア人で、もう41歳らしい。17歳もはなれてる。」
というのでなんだかびっくりした記憶があるが、
その夫であるジョビンももう50歳である。
まえとかわらないやさしい笑顔で、ハグしてくれた。

このやさしい笑顔の義理の弟がどんな人生をおくってきて、
どんな考えでいま生きているのか、わたしはなにも、しらない。
義理の弟だと言ったって、わたしよりひとまわり以上も年上で、
外国人で、男のひとである。
妹とはいったい、普段はどんな話をしているのだろう。
そのことがいつも、不思議だ。

わたしのまわりには、外国人の夫をもっているひとがわりに多い。
そんななかで、ちらっと耳にした話。
「相手が外国人だとね、『わかりあえない』ってことについて、わりと割り切りやすいのよ」

なるほどねえ。。。

12月7日

社長にお客さん。
もったりとユーモラスな関西弁のなかに、
なんとなくするどい切っ先をかんじさせるようなかんじのひとだ。

聞こえる様な、聞こえない様な話に耳を澄ませてみたり澄ませなかったりしているうちに、
はっ としてきた。

お客さんがかえられてから、社長に言ってみた。
「ねえ、カップのプリンス じゃない?」
「あ。そうかもしれない!」
「ちょっと前倒しで来たね」
「うん でも、きっとそんな気がする」
あやしげな会話。。。。

夏ごろ社長といっしょに、遊びはんぶん まじめはんぶんで、
会社の1年のなりゆきをうらなってみたことがあった。

1月頃にカップのプリンスがやってきて、ちょっとした話をもってくるだろう、
まあ、その話については受け止めかた次第なんだけど。

そんな話。
わたし「誰だろう?社長、おもいあたる?」
社長 「○○さんじゃない?」
わたし「え〜っ?そうかなあ。わたし、○○さんっぽい気がする」
社長 「ああ、なるほど、○○さんが、誰かを連れてくるっていう線も考えられる」
わたし「そうかあ。でも、わたしの知らないひとかもしれないものね、わたしにはわからない」
なんていうはなしを、そのときしていた。

まあ その中身が当たる当たらないはべつとして、
あのときのカードに描かれたプリンスとそのお客さんがわりに似ていたので、
ちょっとおかしかったのだった。
わたしの知らないひとだった。

12月6日

階段の下に、細長いつつみがおいてあるのを目の端でなんとなくとらえていたのは
おとといぐらいからのことだったのだけど、
それが宅急便で届いたつつみだということに気がついたのは今日帰宅してからのことで、
封が空いていないということは それはわたし宛てのつつみなのでは
ということに気づくのにまた少しの間があったのだった。

ごめんね、かな子さん。
だって、そんなものが届くなんて予想していなかったのだもの。

届いたのは、まるめた壁紙が2枚。
「美術館の壁はすべてその壁紙で覆われています」というメッセージがそえられていた。
このあいだかな子さんに会った時に、
美術館の壁はどんな壁なんですか という質問をしたせいだ と思い当たる。

「んー、画材によっては、発色がかわるみたいですねえ」とおっとりと答えてくれたかな子さんだったが、
間をおかないで、こんなことをしてくれる。

わたしはかな子さんと話すとき、あまり饒舌なおしゃべりはできないのに、
かな子さんは耳以外の部分をつかってわたしの発しているものを受けとってくれているようで、
わたしのなかにかたちにならないで存在している部分を、
「これじゃないですか?」って、つんつん、とつついてくれるのだ、
とてもさりげなく、ひかえめに。

このところ、だれかからの、そんなすてきなメッセージをうけとってばかり。
うけとってばかりだ。

12月5日

きのうゆりちゃんにつくったのは、ながい首飾りで、
それを生成りの布にぬいつけたもの。
布ごとくるくると巻いて、ラッピングした。

布にアイロンビーズとつぶしだまで、文字をかいた。
"READ ME" って。

そんなふうに手がうごいていってしまったのは、
ゆりちゃんからもらったメールのせいだとおもう。

「静かな広い場所
(日本じゃない、石造りの広い空間、大きなコロン、柱の陰に私達いた。)
で、ピーコさんの髪を切ってるの。
儀式っぽかった。
クリーム色の大理石の台の上に髪をしいて、綺麗に整えていくの。
切った髪は、丸く束ねて置いておいて。
きり終って、気がつくと、髪にラインが何本かあって(少し質の違った髪が根元から毛先まであるの)、
きれいに切り揃ってから、鏡でみせて、
『これはバーコード(情報)だね。』って言って、
その情報(メッセージ)を二人で読もうとしているところで、目が覚めました。
不思議ね〜、どうしてこんなにリアルな夢を見るのかしら?」

ああ、わたしもそのなかにいきたいよ、ゆりちゃん。


このごろ、わたしがながいブレスレットやくびかざりをつくるとき、
なんだか暗号みたいなものをこめているようなかんじに、
たしかに、いつも、なっている。

その場所で、ゆりちゃんと読みとりたい。

2012年1月23日月曜日

12月4日

じぶんで髪を切った場合、しばらくするととてもやさぐれた感じになってくる。
それで、前の髪と横の髪をちょっと切った。
あまりしたことのない髪型になって、ちょっと気が晴れた。
からだがこわばってがちがちになっていたので、背中をあたためたら、
ふうーっと、からだの奥から、ためいきがでた。
そして、部屋のなかを整理した。
居場所のなかったものに居場所をつくり、
いらないものを分けた。
きもちのなかに、風がすこしふいてくる。
からだのまわりの色がちょっとあたたかみを帯びた。

夜中にかけて、ゆりちゃんへのプレゼントをつくった。

12月3日

なつかしいひとからメールがきていた。
春田さんは春に展覧会をひらかせていただいたギャラリーの担当のひとだったけど、
ちょっとそのへんで出会えないような、おもしろいひとだった。

展覧会の初日、春田さんがわたしに話すには、
「あのね、わたし、さいしょにピーコさんにあったとき、前歯、なかったでしょう。
あれね、もう、3年ぐらいまえから、なかったんですよ。
それでね、もう、自分ではすっかり慣れちゃってたから、なんとも思わなかったし、
隙き間からうどんを出したりして遊べるから好きだったんだけど、
友達に『明日差し歯をいれなければ絶交する』って言われて、仕方なく、いれたんですよ。
もう、嫌で嫌でね。
歯医者に行ったら、『とりあえず、その不細工を直しましょう』って、
借り歯を入れることになって。
不細工不細工って、5回ぐらい不細工って言われましたよその日。
でもね、歯を入れたら、顔も変わっちゃって、自分じゃない気がして、
もう嫌で嫌で、泣いたんですよわたし。
もう、うどんを出して遊べないし。
でも、友達から、『歯が無い自分の方が良いなんていうことは、絶対にありえないん  
だよ!』
って言われて。
今はようやく、ちょっと慣れて来たんですけど。
この間、よそのギャラリーのスタッフの人に会って。
その人には、前々から、『歯の無いギャラリースタッフなんて、絶対に信用してもらえないから!』
って言われ続けてたんですよ。
それで、その人にあったときに『やっと僕の言う事を聞いて、歯を入れたんだね』
って言われたんですけど、ちがうんですよ。ノリでいれただけなんです」

ああ、わたし、この人すきだわって思ったのだったけど、
その春田さんから、
「今展示されている作家さんとピーコさんは、私の中で安心感があって、雰囲気がにています 
優しい気持ちですごしてます」
というメールをもらって、
このごろずっとこころをとざしてぎすぎすと暮らしていた自分をまたはずかしく思ったのだった。

春田さんと一緒にすごした春の2週間は、
ほんとうにやさしい日々だったなあ とおもいだしていた。
裏手のカフェに飾られている春田さんの切り絵にそえられていた、
"hanuke no haruta " (歯抜けの春田) っていうサインにびっくりしたことも、
おもいだしていた。

12月2日

いろいろと心をつかれさせたので、ぐったりとしていた。
ぐったりしていたら、「ほぼ日」で三國万里子さんが編み物の公開制作をされるという情報がはいってきたので、気晴らしに と思ってのぞいてみた。

そうしたら一気に三國さんのすてきさにひきずりこまれてしまい、
インタビューだのなんだの、情報をえられるもののすべてに目をとおしてしまう。
着ているものもかわいい。
ゆびがそこそこがっしりしていてつめの短いところ、
ぐっとくる。
左手のひとさしゆびに指輪を嵌めていて、
ふつうなら編み物をするのにじゃまになるだろうと思うのに、
編んでいる様子をみると、いちどたりとて、毛糸が指輪にひっかかったりしない。
そのスキルを得たひとのみが嵌められる、ひとさしゆびの指輪。
ああ、かっこいいな。

朝おきて、白湯を飲んで、それから音楽をかけてひたすらに編む毎日。
わたしはそういう、どことなくお坊さんみたいな生活をしているひとの
日常をかいま見るのがほんとうにすきで、
どこまでもひきこまれてしまう。

12月1日

ことし最後の月がはじまる。
今のわたしはとてもこころをとざしていて、
それをじぶんで知ってはいるけど、
わかっちゃいるけどどうにもならない ってこういうことなのよ。
って言いたくなるような気分。

いやな、ばかな、せまい、じぶん。
せめて、そういうじぶんをせめないように とだけおもう。

2012年1月1日日曜日

11月30日

たとえばゆめのなかで、目的地にたどりつけなくって、
道がまちがっているということだけははっきりわかっていて、
それなのに、まちがった道をずんずんといってしまうような、
それが起こっている。

それが起こっている、っていうことだけははっきりわかっている。

夜中に苦しくなり、ねこさんにメールしてしまった。

「頭のなかがぐちゃぐちゃ。かちわりたい」

「明日、仕事?」
「うん 明日 しごと」
「ほな、寝なあかんな。温かいもんでも飲んだら。 それか、深呼吸」
「そうする ありがとう」
「それか、でんぐり返し」

たぶん、だれかがそんな状態だったら、わたしも似たようなことをいうとおもう。
(「でんぐり返し」以外)
だから、どうすればいいかは、ほんとうは、自分で知ってるってことだ。
だけど、人に言ってもらうことで、ずっとすんなり受け入れられることもある。

わたしはすんなり受け入れ、それから、
こういう非常事態のときにねこさんのちからをかりるのは、これで最後にしよう とおもった。
今年はなんども、ねこさんに助けてもらった。

11月29日

バグだとおもうのだけど、ブロックした相手にまたフォローされたのをきっかけに、
しばらくは、ツイッターに鍵をかけようと決断した。
ブロックした相手というのは、わたしの父親。

バグだとはおもうけど、
バグで起こるならなおさら、意味がある。
かたく拒否すればするほど、こういうふうにつきつけられる、
そういうことがある気がする。

ここで今わたしに見えている表面上の問題は、
「個人の境界線をわきまえずに領域を侵してくる人、その行為」だ。

ずっとくもっている何かの発端はここなんだっていうこと、ほんとうはわかっている。
そして、目に見えている「父親」が問題なのではないということも。
だけど、目に見えている「父親」という形であらわれてくるものごとに対してどう対応するのか、というのはほんとうに生死を左右する位に大きな問題なんだ、わたしにとって。


ツイッターっていう、ひとくせある交流ツール上で、
こういった問題をわたしの友人をもまきこんでおおっぴらにすることも、
きもちわるすぎて吐き気がした。

洋裁学校へいき、縫い物をして、少しだけ、きもちのやり場をつくることができた。

この問題について、わたしのこころのなかでおこっている戦争を他の人に理解してもらうことなんて、ほんとうに、不可能だとおもう。
なぜそれがこんなに大きな問題なのか、わたし自身にすらわからない。
とても孤独なたたかい。
たぶんだれしもが、いろんな形でやっていること。
だれも、たちいれない領域。

11月28日

社長が大学生のころから一緒にくらしていた猫が、このあいだ亡くなった。
それで、社長はつらい思いをしている。
あえて、会社ではそのはなしはしない。
「きょうは、はやく帰るわ」と言って、かえっていった。

わたしは残ってすこし仕事をかたづけ、
かえりに腹ぺこだったので、ラーメンをたべて帰った。

まだ、くもってる。
くもりが、つづいてる。

11月27日

展覧会を3つみに、京都へ。

あかねとあきらのおとうとである、弥太郎くんの個展も、みた。
弥太郎くんの髪は一か所だけ、ぴーんと立っていた。
セットしているのじゃない。きっとあれは寝癖だとおもったが、
その様子がけっこう自然なので、指摘するのもわすれ、
弥太郎くんの世界で弥太郎くんと話をした。
「きのうね。ここで知り合いにライブをしてもらったんですけど、
なんか、僕も歌わされてしまって。
僕、人前で歌うなんて、ほんとうにだめだっていうのがわかって、
それで、今日はもう、ぼろぼろなんですけど」という弥太郎くん。
ああ、それで、髪が。と思って、でも、だまっていた。

弥太郎くんはいつも、絵の他に、日記の様な手帳を展示していて、
そこにかかれている言葉とは、たましいのレベルでふれあえる気がするので、
毎回それを読むのをわたしはたのしみにしている。

さて、それにしても、あかねとあきらと弥太郎くんの3きょうだいの関係は、風変わりだ。
弥太郎くんの絵にかならずといってよいほど登場してくるうさぎがいる。
弥太郎くんのはなしによると、
あれは、もともと、長女のあかねがうさぎを好きだったのだが、
それを弟のあきらがひきつぎ、
それをまた、その弟である弥太郎くんがひきついだというのだ。

うさぎの人形を、とかいう話ではない。
「うさぎを好きである」ということを、ひきつぐのだ。
そして、「うさぎを好きである」ということを、下のものにゆずるのだ。

それで、弥太郎くんが今、うさぎを描きまくっている。

「でもね、今回は、姉が、僕の絵をひとつ、買ってくれたんですよ。この、ちいさいの」
と言ってうれしそうにしている、弥太郎くん。
あかねが買ったという、小さい絵。
うさぎの絵だ。
ううむ。

11月26日

「長年ためてきた怒りをついに表現した!」とおもって目をさました。
ああ、実際は、ぜんぜん外へだしていないってわけだ、がっくり。

しかし、わたしは何を怒っているんだろう。
くもってる。
視界が、くもってる。
くもっているから、何か、行動がおかしい。
おかしいっていうのだけ、なんとなくわかる。
そのくらい、くもっている。
こういうとき、しんどい。

11月25日

新月。
わたしにとって新月はリセットの日で、こころがしーんとしずまり、
きれいにかたづいた部屋のようなきもちの日なんだけど、
社長にとっての新月は、「ざらざらした感じの日。やっかいごとが多い日でもある」んだそうで、
ええ〜、そんなはずはないのに、と思っていたのだけれど。

たしかにこの数ヶ月、新月になると予想外のトラブルが多いのだった。

きょうはまんまとトラブルにまきこまれ、夜まで神経がキンキンとはりつめた一日。
なんだろう、不思議。
トラブルというかたちでやってくるけど、ほんとうは、これは何なんだろな。

11月24日

いろいろと、整理できないこころのモヤモヤがある。
このごろ、社長は、わたしに、
「そこは腹をたててもいいところ。怒ってもいいところ。」ということがある。
わたしも、わたしが他人だったら、おなじように言っているかもしれないとおもう。
だけど、厄介なことに、わたし自身が腹をたてているのかどうなのか、なかなかわからないことが多い。

はじめにがまんしていて、がまんしているのに気がつかなくて、
感情があとあとになって出てくる。
こういうとき、ああ、ほんとに、まだまだだな、って思う。

でも、あとあとになってきているのにまだ、よくわからないんだ、今。
どうでもいいやって思おうとすれば、簡単にそう思えちゃうから、
ほんとうは、どうでもいいのかもしれないし、
どうでもいいって思う方がらくだから、そう思いたいのかもしれないし、
もうそれも、よくわからない。
なにかが、くもっている。

11月23日

きのう、洋裁学校からかえってきてご飯をたべ、しばらくしたころに社長からメールがきた。
「会社のこれからのことをいろいろ考えてたら、ピー子もまじえて話したくなって」とのこと。
夜中に社長が車でむかえにきてくれて、社長宅へ。
真剣な話をしにきたわけだけど、なんとなく社長もうきうきしていて、
わたしも、大学生にもどったみたいな、友達の家に夜中にあそびにきたような、
みょうにたのしい気分。
社長のお家は、ホットカーペットがあたたかくて、
そのふかふかのカーペットにぺったり座るかんじなんかがなんだかやっぱり大学生のころを思い出す感覚でなつかしかったのだった。

社長は編み物をしながら話をして、
話はシリアスだし、社長がしている編み物は趣味用ではなく仕事用なんだけど、
妙なくつろぎのなかで、たのしくシリアスな話をした。

そのあと、深夜の海外ドラマをみたり、
龍くんがつくってくれた夜食をつまんだりして、
夜の明ける前に家まで送ってもらった。
やっぱり、大学生の夜みたいな一夜だった。

それで、きょうは、ぐったり寝ていた。

11月22日

洋裁学校ではベンツの仕上げと、シームポケットの縫い方を練習した。
うすうす感じていたけれど、わたしは、縫った部分を裏返すとどういう形になるかっていうところを予測するのが苦手だ。
予測がむつかしいから、今やっている切り込みの意味なんかが、なかなかわからなかったりする。
これはフォトショップのことを教えてもらっている時もいっしょ。
今やっていることの意味がわかんない、っていうことがしょっちゅうある。
そうするとこころがちぢこまる。
ちぢこまると、ますますみえなくなり、きこえなくなり、
わからなくなって、ちぢこまる。

まあ、ベンツを縫うくらいのことで、そこまでちぢこまっていったりは、しないんだけど、
ちぢこまるこの感覚で、体がいろいろなことをおもいだす。

11月21日

ずいぶん前のことになるけれど、
ねこさんとご飯をたべていたときにわたしの言った言葉を気にしている。

あのとき、ある人の話になって、
わたしが「だってあのひとは、ひとことで言うと王様タイプだから」と言ったとき、
ねこさんが「僕は?ひとことで言うとどういうタイプ?」ときいたのだ。
おもわず、
「うーん、ねこさんは、王様じゃあ、ないな。ねこさんは・・・
『お父さんは心配性』っていうまんが、あったよね、読んだことないけど。
そういうタイプ」
って、読んだ事もないまんがのタイトルを出してしまい、
それはちょっとひどいなと思って、
帰ってからねこさんに
「訂正、ねこさんは、ひとことで言うと、博愛主義者」
っていうメールを送ったのだが、
それもそれで、どうなんだろう、と思ったわけである。

あなたは博愛主義者だね なんて言われても、あんまりうれしくないかもしれない。
そして、「王様」と「博愛主義者」っていうのは、見る角度がちがうだけで、
同じものなのかもしれないと思ったりもする。
しかもそこには、わたしのなかにある、
「おとこって、そういう感じじゃない?わたしにはそのへんよくわかんないけど」っていうような、
なんとなく距離をもった視点がふくまれている気がするのだった。

11月20日

あるひとから、
「あなたは、既成の価値観によって縛られるととても苦しくなるタイプのひとだけど、
目に見えないたいせつなことをしっかり軸にすることができるようになって、
ある程度そのことをひとに説明したりすることができるようになると、
バリアを作ってらくに生きられるから、そんなふうにするとよいかもよ。」
とアドバイスをもらった。
なるほどと思う。

11月19日

腕に、まだ若いみみずくを抱いていた。
みみずくは、くちばしをじぶん自身の胸の中へうずめるようにして、まるまっていた。
だから顔はみえなくて、小麦色のかたまりみたいになっていた。
そういうかたまりを抱いていて、その体温をうっすらと感じていた。
肌触りがかたくてかさかさしていて、よそよそしい距離感と不安定さがありながら、
大事に抱いていた。
みみずくを抱いて草原に座っていた。
夜で、夜空に流れ星があざやかに、無数にながれていた。
あまりにあざやかで、火花が散るようで、
空襲をうけながら腕にこどもを抱いているようなきもちになりそうだった。
という夢。

11月18日

昼間、作品のファイルをつくり、
母にたのまれていたピアノ伴奏をカセットテープに録音し、
家族のための夕飯を作ってから、

かな子さんに会いにいった。
このあいだあやねとくまさんといっしょにランチをたべた場所で、きょうは、夕飯をたべる。
わたしは、キッシュとサラダとスープ。それと、サングリア。
かな子さんは、ガレット、それと、サングリア。
来年の秋にひらかれる展覧会のことを話しに、
栃木県から大阪まで、きてくださった。

かな子さんというひとは、とてもおだやかでまろやか。
だけど、ちょっと、どこか、変わっている。

たぶん、だから、出会えたんだとおもう。
そもそも、この人との出会いも不思議だった。
おおよそコマーシャルギャラリーとはほどとおい性質のギャラリーでひらいたはじめての個展に、なぜか遠いところからきてくださった、学芸員さん。
それが、かな子さんだ。
このひとは、学芸員の世界の中で、ちょっとアウトローなんだろうな、という気がする。

そして、かな子さんと話をしたあと、徐々にわたしの中でかたまっていた扉の鍵が、
ちょっとずつひらいてくるのを感じる。
ほこりがとりはらわれて、部屋の中が見えてくる感じ。
ふしぎなひとだ。
ひととひとが会って起こる化学反応みたいなのをひさびさに強くあじわう。

サングリアですこし酔って、
道をまちがえ、行きたかった「ムジカ」には行けず、
北新地のすごいところにまぎれこんで、
その雰囲気に感心しあったりしながら、いっしょに帰った。

11月17日

処分してしまうつもりでまとめてあった洋服の中から、なんとなく目についたシャツに袖をとおしてみた。
そのシャツと、いままで組み合わせたことのない服をあわせてきてみたら、
いまの髪型とかいまの季節にぴったりで、ちょっといい気分になって、
そのままいい気分で仕事をした。

そんなはかないたのしみが、日々かすかにひかって、
すこしたのしんで、そしてわすれていく。
日々のはかなく、いとしい、ちいさな。

11月16日

社長が東京へ。
わたしはひとりで仕事をする。
ずいぶんと寒くなってきて、事務所は床から凍るようなつめたさを発している。
それにしても、社長ひとりいないだけで、なんでこんなに寒くなるのか、不思議だ。
だんだんこごえてきて、頭がまわらず、指もかじかんでくる。

夜、龍くんとskypeで打ち合わせをしていると、だんだん生気がもどってきた。
家に帰ってお風呂に入っていたら、さらにアイデアがわいてきた。

ううむ、あたたかいのは大事。

11月15日

洋裁学校では、部分縫いの練習を引き続き。
今日はコンシールファスナー付けと、ベンツの縫い方。

毎週通ううちに、どうやら、わたしはこのメンバーの中ではわりに作業がはやいほうだというのがわかってきた。
あいかわらず、ミシンがけはとてもとても慎重にやっているのだけれど、
それでも、ほかのひとより先に進んでしまう。
先生のほうも、なんとなく、「このひとは教えるの楽だわ」という雰囲気を発しているのを感じる。
なんとなく、小学生のころをおもいだす。

で、今日は、布の折る方向を真逆にして縫ってしまうという失敗をした。
わざとじゃない。
先生は、わたしがおかしな失敗をしたので、ちょっとぎょっとしていた。
これくらいでちょうどいいやとおもう。
失敗のおかげで少し遅れ、また追いついた。
失敗はしておいたほうがいいと思う。いろんな意味で。

11月14日

きのうおとといと、フィギュアスケートをどっぷりみていた。
高橋大輔選手の、とぎすまされていく様子にびりびりしびれてる。
トリノオリンピックのころの彼とくらべると、ほんとうに、別人だ。
あのころは、彼がいまのようになるなんて、微塵も想像しなかった。

そして、今年は、とてもむつかしい曲をえらんでいる。
「今までえらんでこなかった、えらびたくなかった曲をえらんだ」という。

それでちょっと、このあいだのあやねとくまさんのトークショーで出た話題を思い出した。
「どちらかというと、自分を消す、自分でなくなる、ということのほうがおもしろい」
という、くまさんの話。

よく、「じぶんがきらいだから、自分じゃないものになるのがきもちいい」っていうニュアンスでおなじことを言う人もいて、
わたしは、そちら側のニュアンスで語られる場合については、若干の懐疑心をいだいていたのだけれど、

あの日、くまさんの話をきいているうちに、なんとなく、
どちらのニュアンスでもいいか
と思うようになってきた。

どちらのニュアンスであれ、やりたいことはたぶん
「あたらしい自分になる」ということじゃないかなと思うから。
そして、それを、わたしも、やっていきたいから。
一瞬ずつ、毎日、毎年、すこしずつ、
死ぬまで。

11月13日

赤い空に、巨大な惑星がいくつも並んでいる。
カラフルで、さまざまな模様の、惑星たち。
まるでホログラムでうつしだされているような、みどり色の人魚もそこにまじって浮かんでる。
人魚がぐわんとおおきくなりながら、こちらへちかづいてくる。
空の色は、夕焼けの赤さとはちがって、本当に燃えるように赤くて、
その空へ向かってずっとまっすぐにつづいている道に、
わたしは小学生のるいちゃんと一緒にならんで立っていて、
ずっとそれを見ていた。
という夢。

11月12日

家族とのあいだでちょっとしたしんどいことがあって、
最高にモヤモヤした気分。
わたしにとって最後まで越えられない葛藤は、やっぱりここにある気がする。


「家族の問題は、ほかの家族とは比較できないし、ほかのひとにはやっぱりわからない。
家族の問題には大小は無いと思ってる。」
「わたしたちには、ものを作る ということがあって、よかったね」
という、あるひとがくれたメッセージにとてもとてもすくわれた。

11月11日

満月。
床掃除や夕飯作りをして、お風呂にはいったら、じんましんがさかんにでてきた。
なかなかおさまらない。

あやねとくまさんの展覧会のオープニングパーティに、ずいぶん遅刻して着く。
たくさんの、知った顔。
わたし、ちょっと緊張している。パーティにはよく行くけれど、ほんとうは緊張しているのだ、いつでも。

こころをしずかにおちつけて、あやねとくまさんの作品をみる。
わたしのあの朗読がくっついている作品をみる。
あやねとくまさんのすごいところ、すきなところは、
大掛かりなことをしないで、ちいさいところから、
とてもおおきくふかく、心にひろがる世界をつくりだしてくところだ。

ひさびさに、青山さんに会う。
わたしの個展の撮影をしてもらったのが春だったから、もう半年ぶりだ。
あいかわらず、髪を無造作にのばして、ひっそりしているのに目立っている。
「青山さん、こんにちは」
「ピー子、ひさしぶり。」
「お元気ですか?」
「うん、元気。・・・・実は、ピー子に話すことがあって。」
あ、きたな と思って、わたしは両足をそろえて立った。

「実は、夏に引っ越しをして、それで結婚したんです」
「それは、おめでとうございます」
ひそやかにあたまをさげあうわたしたち。
淡々と話す青山さんに、奥さんの年齢をきいたらすこし赤くなった。

その後何やかや、青山さんの新居のことやら、
そのほかちょっと興味深い提案もあり。
「では、ちょっとほかの人にも、(結婚の)報告をしてきます」とゆるりゆるりと歩いてく青山さんを
「いってらっしゃい」と見送ると、すぐにギャラリーの閉まる時間がやってきた。

このところわたしは外向きにうごきまわることがおおくて少しつかれていたので、
「僕、せなあかんことあるし、今日は早く帰るわ」というねこさんに便乗して、タクシーに乗せてもらった。
ねこさんも、もうすぐ新居へ引っ越すのだ。

河原町から電車に乗る。
ワインを飲んで酔っぱらっているふうのねこさんは、
「昨日は何やっけ、オバハン4人でご飯行ったん?あ、オバハンとちゃうか、中年って言うとったっけ。」などと言う。
わたし 「そう。社長とカオリちゃんは高校が一緒やったんやね。
     美術系の高校生ってやっぱり朝から『朝デッサン』とかするらしいね、すごいね」
ねこさん「美術系とちごても、僕も朝から油絵とか、描いとったで」
わたし 「ねこさん高校のとき、どんな絵描いてたん?」
ねこさん「うーん、好きやったんは、松本竣介。あと、フランシス・ベーコンも好きやった」
わたし 「あ、フランシス・ベーコンは好きやったな。でもその2人、ぜんぜんちがうな」
ねこさん「ええねん、そんなん。せやけど、松本竣介は回顧展、やらへんな。
     佐伯祐三とかは、しょっちゅうあんのにな」
わたし 「そこの佐伯祐三と松本竣介のちがいって何なんかな」
ねこさん「うー、ピストルズとポップ・グループのちがい、みたいなもんちゃうか。」
わたし 「ふーん。なんか、よくわからんが、うまいたとえのような気がする」
ねこさん「松本竣介はいい。だいたい、名前がええやん、松本竣介て」

ねこさんは、「寝ていい?」と言いおわるかおわらぬかのうちに、寝てしまった。
わたしは横でずっと、田辺聖子を読んでいた。
途中でねこさんは一瞬目をさまして、「本、読んだはる。」と言って、また、寝た。
梅田についてもまだ眠っていたので、「つきましたよ。」と起こした。
酔ってはるなあ と思いながら、わかれた。

11月10日

仕事のおわりがけに、カオリちゃんが事務所にあそびにやってきた。
偶然、ゆかちゃんからもメールがきた。
社長とカオリちゃんとわたしとで、ゆかちゃんの展覧会場へむかう。
そこでみんなでご飯をたべようということになったのだった。

ヨーロッパのカフェ風のそのお店にたどりついたとき、
外からガラス越しに、ゆめみたいなテーブルセッティングが照らされているのがみえた。
そろりと入ってみると、セピアいろの照明のなかに、
雪がつもったみたいな白い粉砂糖をかぶったちいさなお菓子が2段になった菓子台のうえにシックにかわいらしく陳列されている、とか、
しろい紫陽花がお菓子の間にさりげなくかざられている、
とかいうような、
世界がくりひろげられていたのだった。

「ブライダルの撮影用に作ってセッティングしたのよー」
「ブライダルパーティにいかがー?」
という、オーナーのちよさんとスタッフのふみちゃん。
「ブライダル、パーティ。。。」
「無いな。」
とわたしたち。

ワインをのみ、キッシュやスープや、煮込みとともに、パンをいただき、
ほんのり赤くなったカオリちゃんをながめながら、おしゃべりをする。
よくかんがえると、この4人で会って食事をするのははじめてだったが、
月に1回ぐらいこういうことをやっていたような気がするぐらいの雰囲気だった。
社長もわたしもほんとうに腹ぺこだったのだが、
おしゃべりとおいしい食事でとても満ちたりて、帰った。

11月9日

社長があたらしくたちあげたブランドの内見会が、いよいよはじまった。
わたしはインターネット上での広報的な役割をするということになり、
会場で社長とうちあわせ。
社長は朝目眩がして、しばらく会場でやすんでいたそうだった。
なかなか倒れないひとほど、からだのなかにたまっているような気がして、心配だ。

それでも、打ち合わせのときには社長はいつものあかるく元気な社長で、
ついつい私もいつもと同じようにふるまってしまう。

夜は、かかわっているメンバー全員でうちあげに。
谷口氏と赤松氏のおふたりはきょうもまた、弥次喜多コンビらしく、ちょっとしたことをけなしあうのである。
相手になにか、けなすポイントをみつけたときの、真剣に嬉しそうな感じが、
第三者からみると、たまらなくおかしい。

帰り道、社長が最近見た夢をはなしてくれた。
いつぞやの、「置屋の夢のシリーズ」だ。
社長はその、「江戸時代の、置屋のような、風呂屋のような」場所の夢をたびたびみるそうで、
みるたびにちがう登場人物としてそこにいるのだそうだ。
今回はなんだか切ない恋愛ものの話だった。

11月8日

つかれ気味で、やたらに眠った。
午後おそくに目覚める。
洗濯やかたづけ、家族の夕飯の準備などをしていると、すぐに夕方がきてしまう。
夕方がくるいうのはつまり、学校へいく時間がくるということだった。

今日は、部分縫いのうち、表地にファスナーをつける工程。
先週の裏地にくらべると、表地というのはずいぶんと安心感のある素材だ。

学校でやることにぎゅっと集中するのは、わたしにとってとてもよい。
しかし、その行き来の電車のなかで最近わたしが集中している事がほかにもあって、
それは、田辺聖子の小説を読むことだ。

ついこのあいだまでは、いったいなにがおもしろいのかまるでわからなかった。
関西弁でしゃべくる男女、惚れたはれたのくりかえし、
それのどこがいいんだか、さっぱりだった。
なのに今はその魅力にとりつかれている。
関西弁にしか出せない、微妙で繊細な感情のニュアンスだとか、
ふるく由緒ただしい関西人なら眉をひそめる、「粉もん」にたいする飽くなきこだわり、だとか。

わたしは自分自身が関西人であることにもあまりなじめないと思うことがおおいし、
とくに「粉もん」が好きだというわけでもないけれど。

40歳前後の人間の、もやっとした部分や、それだからこそみつけられる、きらっとしたもの、
きらっとみえて拾ったたものがじつは見当違いのものだったことを知る苦さ、とか、

そういうところを美味しい味に料理して描いてくれてあるような、
そこにはまっているんだろうとおもう。

11月7日

貧血ぎみで、社長にはやくかえるようにいわれる。
はやくきりあげて、かえった。

11月6日

国立国際美術館で、あやねと、くまさんと待ち合わせ。
ふたりのつぎの展覧会の作品の映像につける音を録音したいのでてつだってくれないか、
という話で、
おもしろそうなので、ふたつ返事でのったのだ。
午後からこの美術館で、ふたりのトークショーがあるので、
それまでに、この場所で録音をしてしまおう、ということだった。

あらわれたふたりは、ふたりだけ。
いつもならいっしょにいる、娘のるいちゃんの姿がない。
「もう、今日は実家に預けててね。」というあやね。
あやねとくまさんとわたしの3人だけでいると、時間が巻き戻ったみたいな調子になってきた。

手渡されたのは童話の本のコピーで、それを朗読するのがわたしの今日のしごとだった。
「欲深狐」という、しらない物語だった。紙の束はわりにずっしりとしている。

「長いから、間違えんと読むのは難しいし、間違ったら、適当に少し手前にもどって、読みなおしてくれたらいいから。」
「あと、ページをめくるときは、紙をめくる音が入らない様に、めくる前で読むのを一旦切って、完全にページをめくり終わってからつづきを読んでほしいねん」
と、読む前にすこし気をつけるべきことを伝えてくれるあやねとくまさん。
くまさんはレコーダーをわたしのすぐ横へおき、一度テストをしたあとで、
好きなタイミングで自由にはじめてくれたらよいといって、はなれたところへいって座った。
あやねはわたしのちかくで、もとの童話の本をひらいて、わたしが読み間違えにきづかなかったときのためにチェックをしていることになった。

わたしはとても緊張してきて、手がつめたくなり、のども閉まってきたような気がした。
よみまちがえたとき、すこし手前にもどるのを忘れないでいられるだろうか、
ページをめくるときのことに気をつけながら、ページのめくりかたとじぶんの朗読との両方に注意をしながら、読むということができるだろうか、
緊張で声がふるえたり変になったりしないだろうか、
こんなに長いお話を読む間、緊張に耐えきれるだろうか、
そんなことが不安になってきた。

こういう不安は、けれど、少しなつかしいものでもあった。

しかし、わたしの心配をよそに、わたし自身は、
緊張はしつつも、わたしが思っていたよりもスムーズにそれらの仕事をこなしていった。
読んでいる間、つねにふたりのわたしがそこにいて、
じぶんの声の調子をききながら、声の抑揚を「まあそのぐらい」と、
目で文字をチェックし、「次はあそこへとびますよ」と、
ページをめくる手前では「この文章で一旦とめて」と教えてくれる、
そういった感じ。
そのような精神状態をつくることも、ひさびさのことで、なかなかおもしろかった。

想定していたよりもはやく録音がおわったので、
3人でのんびりとランチをたべにいき、
その後はまた控え室にもどって、
トークショーのもうひとりのゲストである原谷くんと、
担当学芸員の中田さんとともにおしゃべり。
トークショー本番がはじまると、わたしだけは客席に座って、4人のはなしをきいた。
さっきまでいっしょにおしゃべりしていたともだちが、壇の上にあがってしゃべっているのをこちら側からじっときくというの、不思議な感じ。


かえりみち、「新品の、サイズのおおきいコンバースがあるねんけど、要らん?」というあやねとくまさん。
「え、コンバース、ちょうど、あたらしいのを買おうかなって思ってたとこだったん。」とわたし。
きょうの朗読のお駄賃にもらえることになった。
こういうぴったりなかんじ、ほんとにうれしい。

11月5日

昼3時に出勤し、ひたすら印刷をする。

お得意先さんのいつものおなじみのお二人、谷口氏と赤松氏もやってくる。
おふたりが揃うとどうにも、弥次さん喜多さんの珍道中を目の当たりにしている気分になるようなやりとりが展開される。
関西の商売人の性なのだろうか??
そういうわけで、人生のずいぶん先輩にあたるかたがたなのだが、
こころのなかでひそかにこのおふたりを弥次喜多コンビとよんでいるのだった。
しかしそんなおふたりの気質のおかげで、とてもほぐれた気分で一緒にお仕事ができるというのも、ほんと。

社長と龍くんと終電にすべりこんだのはよいが、
わたしは降りるべき駅をのりすごしてしまい、
いつもとちがう路線に乗り換えて帰ろうとしたら、
そこでもまたホームをまちがえて電車に乗ってしまった。
家から離れた駅で降り、
知らない道を歩いた。
ひとけはなく、車道に申し訳程度についている、暗くさびれた感じの歩道を歩く。
ああ、道の選択を失敗した とおもう。
すぐ横を通り過ぎて行くのはバンばかり。
もしもここで車にのせられてしまったら、かえってこれないかもしれないな と
いやな想像ばかりして、早足になるのだけれど、
家までの距離がわからないから、走ってしまうわけにもいかず。
体はそうとうおびえていたらしく、足の力がぬけそうになってきた。
そのまま、ふかい後悔とおそろしさとともに、
胸をどくどくいわせて、できるかぎりの早足で歩き、
ようやく、知っている景色にたどりついたときというのは、
異世界からワープしてもどってきたかのような気分。
こんなにぞっとしたのは、ひさしぶり。