2014年6月11日水曜日

2014年6月12日

 「創作的な活動をしている人」というふうにみなされると、
「小さい頃どんなふうに育ったの?やっぱり絵がすきだった?」
と尋ねられることがある。

  小さなころから、例えば絵を描くことだったり何かを作ったりすることが大好きで、
ただただそこに没頭しつづけていて、気がついたらアーティストになっていた というひともいれば、
辛い現実や、刷り込まれた自己否定感との折り合いをつけるために
(意識的にではなかったとしても結果として)
「表現する」という行為を選ばざるを得なかったひともいるだろうと思う。

 私は完全に後者のタイプだったし、美術を志した頃に出会った人たちの殆どが、
同じタイプだったような印象がある。
世代の問題か、あるいはちょっとスピリチュアル風に「共通のまなびのために出会った我々」と解釈しようか。
 
  話をもどすと、だから、私は子ども時代のことはできるだけ思い出したくない。
「楽しい」の意味が分からなかった時代。人生というものは、ただひたすら、嫌なことを我慢してやり続けるものだと思っていた時代。

  現在があるのは全ての過去ありきだと心の底から感謝しているつもりはある。
けれどほんとうは、ちょっといじると砂埃のように舞いあがって視界を濁らせる記憶たちが今なお残っているということ、自分でもよくわかっている。

 人生にほんの少しでも光を見ようと思えるまでに、私には30年余りの時間が必要だった。
無駄だったとは思わないが、長かった。
そして、長かったが、闇のなかでおぼれたまま人生の終わりを迎えるよりは、
多分ずっとよかったと思う。

 私がものを作っている背景をほじくれば、そういったことが芋づる式に掘りおこされてくるけれど、
私自身は今、それをよしとしている。

 よしとしているが、これからの子どもたちには、なるべくなら、
あふれる才能そのままを磨きに磨いて、生きるちからがどこまでもみなぎっていくような、
そういう生き方のほうを体験してほしいと、切に思っている。
そして、そういう時代が本当に来ているような気も、している。

2014年6月6日金曜日

2014年6月6日

おかしな部分で潔癖で
腹がたっている時は物を作りたくない。
腹がたっている気分が物に移ってしまう気がして。
それをひとに触れさせたくない。

2014年4月11日金曜日

2014年4月11日

昼間 やばすぎるスケジュールを練り直しにマクドナルドへいこうと思ったが
近所のスーパーの中のマクドナルドは床がゴミだらけなので
コンビニでカフェオレを買って公園へ行くことにした
日当たりの良すぎるベンチでコンビニのシュークリームをたべていたら鳩が恐ろしいほど寄ってきた

桜の樹上はもう隙間だらけで
精神を病んだ人が怒鳴ったり笑ったりしながらぐるぐる徘徊していた
小さい女の子がへんな愛想の良さで私に何か言いながら寄ってきた
後でわかったのは大人にはお菓子を貰えると思っているみたいだということ
他のお年寄りにお菓子を与えられていた
弟らしき子どもも同じようにしていた

スーツを着た人がベンチで居眠りをしていた
足元はゴミだらけだった
量からしてその人ひとりの出したゴミではない
きっと花見にきた人が散らかしていったのだ
スーツの人は気にならないくらい疲れていたのかゴミの中で眠っていた
私の住む地域にはゴミをちらかしていく人がとても多い

落ち着かないがそれでも家の中よりはましだ
目には見えない日焼けをしながらスケジュールを練った

2014年3月31日月曜日

ホームページのようなものをつくりました

ながらく日記を書いていなくて、
この場所で自分はどんな感じの人物として存在していたかよく思い出せなくなっているけれど、
ともあれ、お久しぶりです。
と、誰に言っているのかな、よくわからないけれど。

でも、この場所もまた、すこしずつすこしずつ、生き続けさせていこうとおもいます。

この日記を書いていないあいだに、Fool's journeyという名前のアクセサリーブランドでの活動に力を入れはじめていました。
活動はこれからが本番というところでもあります。

それで今日は、ちょっとしたホームページのようなものを作ってみました。

http://gushanotabi.wordpress.com/

この日記もリンクしています。
どうぞよろしくお願いもうしあげます。