忙しくなると泳ぎに行けなくなってそのままになってしまう
ずっと座り仕事なので、心肺機能も弱っていく
宇野千代が家の中で1日一万歩歩いていたことから発想してアトリエ部屋の机の横で前進しないランニングをしてみた
身体があたたまり気がすっとした
春には三輪山に登れるように体力をつけたい
Fool's journey
かわっていくものも、そうでもないものも。 (人物名は場合により仮名を使用中)
2017年1月10日火曜日
2016年11月16日水曜日
2016年11月16日
どこ見たってつまんなくて最低最悪な世の中で
ひとすじの光みたいなものが見えたその瞬間にしがみついて生きているし
そこにしがみついて作品を作っているから、
目と心を磨いてもっと見えるようにしていかなければ
死があっちから近づいてくる
ひとすじの光みたいなものが見えたその瞬間にしがみついて生きているし
そこにしがみついて作品を作っているから、
目と心を磨いてもっと見えるようにしていかなければ
死があっちから近づいてくる
2016年11月9日水曜日
2016年11月9日
2016年10月26日水曜日
2016年10月25日
自己(他者)肯定とか自己(他者)否定とかの問題は、
つきつめると「神」(わたしにとっては「宇宙」と同義)への肯定否定ということになっていくと思っていて、
わたしは、神(宇宙)に全信頼をおいている
世の中にある嫌いなものを好きにはなれないけれど、全ての存在を肯定している、
もしくは、そうしたいから捉え方を工夫しようとする
わたしにはそういう種類の「肯定」がベースにあるから「幸福」なのだけど、
その「肯定」という行為に「善悪」とか「優劣」とかの価値判断が持ち込まれるときに
「不幸」という感覚が始まるんじゃないかと思う
きちんと調べたことがないので解釈があっているのかどうかわからないけど、
アダムのとイブの食べた「善悪の実」ってそういうことなんじゃないかなと思っている
差異と価値の判断がはじまるともう、「楽園」にはいられない
ところが 宇宙の創造物である「わたし」が創造する「作品」をこの世の美術の世界で問うときには
すでに全員が「楽園」の外側にいて、
善悪優劣の価値判断のもとで評価されてしまう
作り手自身も楽園の外からの視点で作品を見、
自分自身を見て嘆いたりする
そういう二重の機構のなかにわたし自身も居て、
なんとか折り合いをつけながらやっている
つきつめると「神」(わたしにとっては「宇宙」と同義)への肯定否定ということになっていくと思っていて、
わたしは、神(宇宙)に全信頼をおいている
世の中にある嫌いなものを好きにはなれないけれど、全ての存在を肯定している、
もしくは、そうしたいから捉え方を工夫しようとする
わたしにはそういう種類の「肯定」がベースにあるから「幸福」なのだけど、
その「肯定」という行為に「善悪」とか「優劣」とかの価値判断が持ち込まれるときに
「不幸」という感覚が始まるんじゃないかと思う
きちんと調べたことがないので解釈があっているのかどうかわからないけど、
アダムのとイブの食べた「善悪の実」ってそういうことなんじゃないかなと思っている
差異と価値の判断がはじまるともう、「楽園」にはいられない
ところが 宇宙の創造物である「わたし」が創造する「作品」をこの世の美術の世界で問うときには
すでに全員が「楽園」の外側にいて、
善悪優劣の価値判断のもとで評価されてしまう
作り手自身も楽園の外からの視点で作品を見、
自分自身を見て嘆いたりする
そういう二重の機構のなかにわたし自身も居て、
なんとか折り合いをつけながらやっている
2016年10月23日日曜日
2016年10月23日
2016年10月21日金曜日
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