2012年10月17日水曜日

10月14日

コミュニケーションってそもそもなにか、っていう話をすっとばすのだけど、
コミュニケーションにはいろいろなかたちがあるみたいだ。
いろんなコミュニケーションの方法があって、方法に対する個人個人の解釈もあって、
自分にとってここちのいいやりかたをえらぶことができる。

これまでいくつかのコミュニケーションツールをつかってみて、
それをつかういろんなひとのいろんなやりかたをみて、
わたしがここちのいいのがどんなやりかたか、ちょっとずつわかってきた。

わたしはやっぱり、基本的に、キャッチボールが好きだ。
スカッシュみたいな瞬速でなく、(スカッシュをやってみたこともないのだけれど)
受け取ったボールをちょっとだけみつめるくらいの間があって、
そして、投げ返されてくる。
お互いが、お互いをみて、お互いにむけて、投げ合われるボール。

投げ合うなら、そういうのがいいなあと思えてきた。
誰がみているかわからないところで、誰にむかってなげられているのかわからないボールがあったって、もちろんいい。
そういうことが必要なときがある。

そういうことがあったって、もちろんいい。
ひとの考えや立場のちがいをよくこころえて、
受け入れるベースとたっぷりのユーモアをもったひとのことばは、
たとえそれが不特定多数のひとにむけられていても、
とても近しい。
近しさに、おもわずほくそ笑んでしまう。

そういった、かしこいひとのいうことを心からたのしみながら、
ただ、なんとなく今は、
自分のなかの声と、
そして、きちんとわたしにむけて話される言葉のほうに、
より耳をすませたい。

@ がつくかつかないか、これはとてもおおきなちがいだ。
機能性にメンタリティが付加される、とてもおもしろいマークだなあと、
このごろしみじみ感心していたのだった。

そういうことを、こうして、誰がみているかわからない場所で書いているわたしのことを、
ちょっと、わらいながら書いている。