家族や、身近な人物に対する不満というものについて。
他人に不満を抱く時というのはたいていが、自分自身がおもうように生きられていない時だ
という話があって、わたしは全面的にその意見には賛成なのだけれど、
自分自身にたいする不満を他人にすり替える方法しか知らずに生きているひとにたいして
それを指摘すべきだとも思えず、
いらいらをぶつけられてじっとこらえたり、自分の気もちをきりかえることに集中したりしている。
それってどうなんだろう?
不快なら不快を伝えるのが人間らしいやりかただっていう気もしないでもない。
そういう、人によってはあたりまえのようなことにちょくちょくと悩む。
だけれども、
もしもなにか文句をたれるとしたら、いまわたしはこれを言いたいということがひとつある。
それは、
自分を大事にして、自分を喜ばせて、自分をいい気分にさせてあげることのできるのは、
結局自分自身しかいないのだし、
それが自分に責任をもつことでもあり、自分を大切にするということでもあるのであって、
他人が自分の思うようにしてくれなくて自分を気もちよくしてくれない、
ということのみに注目して、不満というきもちの悪い空気を充満させていくことは、
なんて他人に甘えた依存的なやりかたなんだろう、
っていうことだ。
でも、わたしもずうっとそうやって甘えて甘えて、
それが甘えだってことをしらずに生きてきたときがあったのだから、
このほど特につよくつよくそう思うようになったからと言って、
誰かに言えることではないのだった。