学生時代だったか、卒業してからだったか
アトリエから泣きながら飛び出してきた油絵科の女の子を見た 彫刻科の男の子が
「絵ぇ描くひとって、泣くねんな。」
と言ったことを思い出していた
絵を描くひとは泣く。
なぜなら絵を(なかでも特に現代絵画を)描くひとは常に問われているからだ
「お前は誰だ、そこで何をしている」と
そのように何ものかに問い詰められ 追い詰められて 泣きながら答える
だがその答えを常に疑い続ける
そういえばわたしはしばらく泣いていないな、と思った
問いに負けた者には死が、
闘いつづけた者にはいつか光があるだろう
この問いから逃げ続けた者の手に残るのは、
単なる人まねか、中身が空洞である作品の山だ。
わたしがこのごろ泣かないのは、春に1年ぶん泣いたからだ、
だがまた泣くときがやってくるのだろう。
2016年10月14日金曜日
2016年10月12日
これまでオーラが見えるひとだとか 前世がわかるひとだとかのいろいろな人たちから
「あなた、見た目と中身にギャップがありすぎる…」
と言って笑われたりびっくりされたりしたことが4度ぐらいあるのだけど、
たぶんわたしの中にいるのはフュリオサみたいな女なんだとおもう
(もちろん 「マッドマックス 怒りのデスロード」の)
「あなた、見た目と中身にギャップがありすぎる…」
と言って笑われたりびっくりされたりしたことが4度ぐらいあるのだけど、
たぶんわたしの中にいるのはフュリオサみたいな女なんだとおもう
(もちろん 「マッドマックス 怒りのデスロード」の)
2015年3月18日水曜日
「おとなのオリーブ」
中学生から高校生にかけて、
本もそれなりに好きだったが、断然わくわくさせられていたのは「オリーブ」という雑誌のほうだったと思う。
毎月3日と18日に300円で買うこの雑誌が楽しみでたまらず、置いてるはずも無いのに前々日くらいから本屋をのぞいていた。
執念ぶかく隅々まで活字を追い、何度も読み返したから、どこのブランドやお店ではどんなお洋服や雑貨があってそれはだいたいどのくらいの値段がついているのか、殆ど頭に入っていたとおもう。
あの頃実際に自分で買えた・買ったものは、たぶんひとつもない。
ヘアメイクさんとかスタイリストさんとかいう職業があるということもこの雑誌で知ったのだけれど、そのうちに、ぱっと写真を見れば、あぁこれは誰々さんのスタイリングだな、なんてあてられるようにもなっていた。
どきっとか、ぞくっとか、させられるスタイリングはいつも大森伃佑子さんの仕業だった。20年以上たっても、やっぱりどきっとさせられた今号のページのクレジットをチェックするとやっばり大森さんのスタイリングだ、それがうれしい。
大森さんとはある意味正反対な岡尾さんのスタイリングも、同時に好きだった。
ファッションの道へ進みたいなんていう気持ちはこれっぽっちもなかったくせに、なんだったのだろう、あのむさぼり加減。けれど、目的意識がなにひとつなかったからこそ、そうやって吸収したものたちは、なにかしら、わたしにとっての「ある目線」を形成したのではないかという気がする。
ファッションは、ファッションのみで終わらないんだってことも、なんとなくこの雑誌から刷り込まれたような気がする。
1987年7月3日号には「原子力発電は、ほんとうに安全なの?」っていう特集もあったみたい。
その頃まだギリギリ小学生で買えてなかった。
持ってたやつは全部捨ててしまった、なんてもったいなかったんだろ。
女の子が、自分の意志を貫きとおして生きる、ってことを、発見させてくれ、手助けしてくれた、そういう雑誌だったんだと思う。
粋な雑誌、だったな。
本もそれなりに好きだったが、断然わくわくさせられていたのは「オリーブ」という雑誌のほうだったと思う。
毎月3日と18日に300円で買うこの雑誌が楽しみでたまらず、置いてるはずも無いのに前々日くらいから本屋をのぞいていた。
執念ぶかく隅々まで活字を追い、何度も読み返したから、どこのブランドやお店ではどんなお洋服や雑貨があってそれはだいたいどのくらいの値段がついているのか、殆ど頭に入っていたとおもう。
あの頃実際に自分で買えた・買ったものは、たぶんひとつもない。
ヘアメイクさんとかスタイリストさんとかいう職業があるということもこの雑誌で知ったのだけれど、そのうちに、ぱっと写真を見れば、あぁこれは誰々さんのスタイリングだな、なんてあてられるようにもなっていた。
どきっとか、ぞくっとか、させられるスタイリングはいつも大森伃佑子さんの仕業だった。20年以上たっても、やっぱりどきっとさせられた今号のページのクレジットをチェックするとやっばり大森さんのスタイリングだ、それがうれしい。
大森さんとはある意味正反対な岡尾さんのスタイリングも、同時に好きだった。
ファッションの道へ進みたいなんていう気持ちはこれっぽっちもなかったくせに、なんだったのだろう、あのむさぼり加減。けれど、目的意識がなにひとつなかったからこそ、そうやって吸収したものたちは、なにかしら、わたしにとっての「ある目線」を形成したのではないかという気がする。
ファッションは、ファッションのみで終わらないんだってことも、なんとなくこの雑誌から刷り込まれたような気がする。
1987年7月3日号には「原子力発電は、ほんとうに安全なの?」っていう特集もあったみたい。
その頃まだギリギリ小学生で買えてなかった。
持ってたやつは全部捨ててしまった、なんてもったいなかったんだろ。
女の子が、自分の意志を貫きとおして生きる、ってことを、発見させてくれ、手助けしてくれた、そういう雑誌だったんだと思う。
粋な雑誌、だったな。
2014年6月11日水曜日
2014年6月12日
「創作的な活動をしている人」というふうにみなされると、
「小さい頃どんなふうに育ったの?やっぱり絵がすきだった?」
と尋ねられることがある。
小さなころから、例えば絵を描くことだったり何かを作ったりすることが大好きで、
ただただそこに没頭しつづけていて、気がついたらアーティストになっていた というひともいれば、
辛い現実や、刷り込まれた自己否定感との折り合いをつけるために
(意識的にではなかったとしても結果として)
「表現する」という行為を選ばざるを得なかったひともいるだろうと思う。
私は完全に後者のタイプだったし、美術を志した頃に出会った人たちの殆どが、
同じタイプだったような印象がある。
世代の問題か、あるいはちょっとスピリチュアル風に「共通のまなびのために出会った我々」と解釈しようか。
話をもどすと、だから、私は子ども時代のことはできるだけ思い出したくない。
「楽しい」の意味が分からなかった時代。人生というものは、ただひたすら、嫌なことを我慢してやり続けるものだと思っていた時代。
現在があるのは全ての過去ありきだと心の底から感謝しているつもりはある。
けれどほんとうは、ちょっといじると砂埃のように舞いあがって視界を濁らせる記憶たちが今なお残っているということ、自分でもよくわかっている。
人生にほんの少しでも光を見ようと思えるまでに、私には30年余りの時間が必要だった。
無駄だったとは思わないが、長かった。
そして、長かったが、闇のなかでおぼれたまま人生の終わりを迎えるよりは、
多分ずっとよかったと思う。
私がものを作っている背景をほじくれば、そういったことが芋づる式に掘りおこされてくるけれど、
私自身は今、それをよしとしている。
よしとしているが、これからの子どもたちには、なるべくなら、
あふれる才能そのままを磨きに磨いて、生きるちからがどこまでもみなぎっていくような、
そういう生き方のほうを体験してほしいと、切に思っている。
そして、そういう時代が本当に来ているような気も、している。
「小さい頃どんなふうに育ったの?やっぱり絵がすきだった?」
と尋ねられることがある。
小さなころから、例えば絵を描くことだったり何かを作ったりすることが大好きで、
ただただそこに没頭しつづけていて、気がついたらアーティストになっていた というひともいれば、
辛い現実や、刷り込まれた自己否定感との折り合いをつけるために
(意識的にではなかったとしても結果として)
「表現する」という行為を選ばざるを得なかったひともいるだろうと思う。
私は完全に後者のタイプだったし、美術を志した頃に出会った人たちの殆どが、
同じタイプだったような印象がある。
世代の問題か、あるいはちょっとスピリチュアル風に「共通のまなびのために出会った我々」と解釈しようか。
話をもどすと、だから、私は子ども時代のことはできるだけ思い出したくない。
「楽しい」の意味が分からなかった時代。人生というものは、ただひたすら、嫌なことを我慢してやり続けるものだと思っていた時代。
現在があるのは全ての過去ありきだと心の底から感謝しているつもりはある。
けれどほんとうは、ちょっといじると砂埃のように舞いあがって視界を濁らせる記憶たちが今なお残っているということ、自分でもよくわかっている。
人生にほんの少しでも光を見ようと思えるまでに、私には30年余りの時間が必要だった。
無駄だったとは思わないが、長かった。
そして、長かったが、闇のなかでおぼれたまま人生の終わりを迎えるよりは、
多分ずっとよかったと思う。
私がものを作っている背景をほじくれば、そういったことが芋づる式に掘りおこされてくるけれど、
私自身は今、それをよしとしている。
よしとしているが、これからの子どもたちには、なるべくなら、
あふれる才能そのままを磨きに磨いて、生きるちからがどこまでもみなぎっていくような、
そういう生き方のほうを体験してほしいと、切に思っている。
そして、そういう時代が本当に来ているような気も、している。
2014年6月6日金曜日
2014年4月11日金曜日
2014年4月11日
昼間 やばすぎるスケジュールを練り直しにマクドナルドへいこうと思ったが
近所のスーパーの中のマクドナルドは床がゴミだらけなので
コンビニでカフェオレを買って公園へ行くことにした
日当たりの良すぎるベンチでコンビニのシュークリームをたべていたら鳩が恐ろしいほど寄ってきた
桜の樹上はもう隙間だらけで
精神を病んだ人が怒鳴ったり笑ったりしながらぐるぐる徘徊していた
小さい女の子がへんな愛想の良さで私に何か言いながら寄ってきた
後でわかったのは大人にはお菓子を貰えると思っているみたいだということ
他のお年寄りにお菓子を与えられていた
弟らしき子どもも同じようにしていた
スーツを着た人がベンチで居眠りをしていた
足元はゴミだらけだった
量からしてその人ひとりの出したゴミではない
きっと花見にきた人が散らかしていったのだ
スーツの人は気にならないくらい疲れていたのかゴミの中で眠っていた
私の住む地域にはゴミをちらかしていく人がとても多い
落ち着かないがそれでも家の中よりはましだ
目には見えない日焼けをしながらスケジュールを練った
近所のスーパーの中のマクドナルドは床がゴミだらけなので
コンビニでカフェオレを買って公園へ行くことにした
日当たりの良すぎるベンチでコンビニのシュークリームをたべていたら鳩が恐ろしいほど寄ってきた
桜の樹上はもう隙間だらけで
精神を病んだ人が怒鳴ったり笑ったりしながらぐるぐる徘徊していた
小さい女の子がへんな愛想の良さで私に何か言いながら寄ってきた
後でわかったのは大人にはお菓子を貰えると思っているみたいだということ
他のお年寄りにお菓子を与えられていた
弟らしき子どもも同じようにしていた
スーツを着た人がベンチで居眠りをしていた
足元はゴミだらけだった
量からしてその人ひとりの出したゴミではない
きっと花見にきた人が散らかしていったのだ
スーツの人は気にならないくらい疲れていたのかゴミの中で眠っていた
私の住む地域にはゴミをちらかしていく人がとても多い
落ち着かないがそれでも家の中よりはましだ
目には見えない日焼けをしながらスケジュールを練った
2014年3月31日月曜日
ホームページのようなものをつくりました
ながらく日記を書いていなくて、
この場所で自分はどんな感じの人物として存在していたかよく思い出せなくなっているけれど、
ともあれ、お久しぶりです。
と、誰に言っているのかな、よくわからないけれど。
でも、この場所もまた、すこしずつすこしずつ、生き続けさせていこうとおもいます。
この日記を書いていないあいだに、Fool's journeyという名前のアクセサリーブランドでの活動に力を入れはじめていました。
活動はこれからが本番というところでもあります。
それで今日は、ちょっとしたホームページのようなものを作ってみました。
http://gushanotabi.wordpress.com/
この日記もリンクしています。
どうぞよろしくお願いもうしあげます。
この場所で自分はどんな感じの人物として存在していたかよく思い出せなくなっているけれど、
ともあれ、お久しぶりです。
と、誰に言っているのかな、よくわからないけれど。
でも、この場所もまた、すこしずつすこしずつ、生き続けさせていこうとおもいます。
この日記を書いていないあいだに、Fool's journeyという名前のアクセサリーブランドでの活動に力を入れはじめていました。
活動はこれからが本番というところでもあります。
それで今日は、ちょっとしたホームページのようなものを作ってみました。
http://gushanotabi.wordpress.com/
この日記もリンクしています。
どうぞよろしくお願いもうしあげます。
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