きのうのヒーラーさんのことばをなんどもなんども思いかえした。
「じつは、怒りとかなしみというのはおなじ質のものなのね。
おなじものなんだけど、
それがつよいエナジーを持った時には怒りになって、
よわいエナジーをもったときにかなしみになるのね。
怒りがとじこめられると、エナジーが弱まって、かなしみとして出てくるの。
あなたの場合ね、何ということもなくいつもかなしい、
っていうような感じになっていると思うんだけど、
それはそういうことなんです。」
合点がいく。
合点がいきすぎる。
そういうことだったかと納得すると、
そういうことだと思ってしまいすぎることになる。
ほんとうは、そこを通り抜けようとしているはずなのに、
じぶんからそこにとどまってしまいそうになっている気がする。
過去のじぶんといまのじぶんと、未来のじぶんが、ごたまぜに、ここにいる。
昼さがり、とても楽しみにしていた展覧会をみにいった。
あるともだちの作品がほんとうにすばらしかった。
木漏れ日と月あかりと、あらゆるいきものとあらゆる生きていないものと
あらゆるかたちとことばとが、うすくかさなりあって消えかけて、
いろをかえて、点滅している。
すべてがそこにあって、ただただみのがすこともできるし、
じっと見つめていたっていい。
それをみていて、世界はほんとうにうつくしいところだな と思った。
うつくしいのに、わたしは、まだ、かなしいところにいる、と思った。
会場でまみこさんとサキ兄に会ったのだけど、そんなこんなでうまく話すことができなかった。
夜にはたいそう盛大にじんましんが出た。
医者にみせようとおもって、ものすごい状態になった腕の写真を撮った。
ねこさんに「かゆい きもい つらい」と写真つきでメールして、
すぐに「やつあたりやわ ごめん」とあやまった。
返信が来ているのにも気がつかず、かゆさに気がへんになりながらよこたわっていた。
ためこまれた怒りとじんましんには、なにか関係がありそうな気がする と
ちらりとかんがえながら。