2011年10月31日月曜日

10月8日

きのうのヒーラーさんのことばをなんどもなんども思いかえした。
「じつは、怒りとかなしみというのはおなじ質のものなのね。
おなじものなんだけど、
それがつよいエナジーを持った時には怒りになって、
よわいエナジーをもったときにかなしみになるのね。
怒りがとじこめられると、エナジーが弱まって、かなしみとして出てくるの。
あなたの場合ね、何ということもなくいつもかなしい、
っていうような感じになっていると思うんだけど、
それはそういうことなんです。」

合点がいく。
合点がいきすぎる。
そういうことだったかと納得すると、
そういうことだと思ってしまいすぎることになる。
ほんとうは、そこを通り抜けようとしているはずなのに、
じぶんからそこにとどまってしまいそうになっている気がする。
過去のじぶんといまのじぶんと、未来のじぶんが、ごたまぜに、ここにいる。

昼さがり、とても楽しみにしていた展覧会をみにいった。
あるともだちの作品がほんとうにすばらしかった。
木漏れ日と月あかりと、あらゆるいきものとあらゆる生きていないものと
あらゆるかたちとことばとが、うすくかさなりあって消えかけて、
いろをかえて、点滅している。
すべてがそこにあって、ただただみのがすこともできるし、
じっと見つめていたっていい。

それをみていて、世界はほんとうにうつくしいところだな と思った。
うつくしいのに、わたしは、まだ、かなしいところにいる、と思った。

会場でまみこさんとサキ兄に会ったのだけど、そんなこんなでうまく話すことができなかった。

夜にはたいそう盛大にじんましんが出た。
医者にみせようとおもって、ものすごい状態になった腕の写真を撮った。
ねこさんに「かゆい きもい つらい」と写真つきでメールして、
すぐに「やつあたりやわ ごめん」とあやまった。
返信が来ているのにも気がつかず、かゆさに気がへんになりながらよこたわっていた。
ためこまれた怒りとじんましんには、なにか関係がありそうな気がする と
ちらりとかんがえながら。