仕事のことから話題がどんどんとひろがって。
「交通事故に遭う、人に襲われる、痴漢にあう、あたられる、
などというのは陽性に極まった事象であって、
陰性に極まった状態にある人が受け易い」
というような話がでてきた。
タイムリーである。
タイムリーである。
それそれ、なんだか、すごーくよくわかる。
数年前までのわたしの人生、いかに陰性に極まっていて、それを気づかずにいたか。
じぶんの体感として、よーーくわかるんだ。
(交通事故だけは、わたしじゃなく、母さんが遭ってしまった)
じぶんの身になにがおきているか
というのは、ほんとうによくそのときの自分をあらわしているし、
自分が世界をどうみているかによって、自分のまわりにはそのとおりの世界がたちあらわれるものだな、と、
このごろつくづくおもっている。
同時に、そう思うようになったことで、自分がすこし冷たい人間になったような気もしているのだけれど。。。。
ひとの身になにかがおこっているとき、ああ、・・・と思う。
それはどうしようもないことだし、どうにかしようとおもうのはいやだ。
それは、そのひとの世界だから。
そのひとの世界を侵すのは、いやだから。
どんな世界があってもいいとおもうから。
だけど、きもちのどこかでは、うーーーん。。。と思ったりもする。
ヤッパ ニンゲンダモンネエ。