2011年9月28日水曜日

9月24日

ベランダの植物のいろいろが夏を越せずにしんだので、
それらを抜き、こころのなかで弔った。
アジアンタムとモンステラだけは元気。
わたし自身が「このふたつだけは、生き残って」って思っていたからだ、きっと。
ベランダに、空の鉢が並んだ。

ベランダに居たらじんましんが出てきたので、雨戸を半分以上降ろして部屋にとじこもった。
それで何ができるというわけでもなく、したいことが何もみつからなくて、
じいっと哀しいきもちにひたっているうちに、眠ってしまっていた。

たぶんだれでも、ちょっとした慢性のやまいをもっていると、
これがいつまで続くんだろうという思いでやりきれなくなる瞬間っていうのが何度もくる。
おさまってきたら、このまま治るかなと期待するし、
悪化してきたら、ああやっぱりじぶんはだめなんだと思ってしまう、
その繰り返し。

ひとなみに動けないということや、大多数のひとと同じようには暮らせないということを、
ふだんは受け入れられているんだけれど、ときどき、気がおかしくなるときがある。

こういうとき、ラインを超えるぎりぎり手前でわたし自身がだれかにたすけをもとめることをおもいつく、
ということと、
たすけになってくれるだれかがほんとうにどこかにいてくれる、っていうことが、
ものすごい命綱になっているなあと、毎度毎度、思っている、
あとになって のことなんだけど。