2011年8月28日日曜日

8月26日

「私の前世、やっぱり、置屋の女将さんやねん」
と、さくさくと仕事の手を動かしながら言い出す社長。

わたし「誰かにみてもらったの?」
社長 「ううん。そうじゃないねんけど」
わたし「じぶんでわかっちゃうというか、社長のなかに、確信があるんだ?」
社長 「そうでも、ないねんけど。でも、そうやねん。
それで、旦那がつかなくて、身うけ先がきまらない子がずっと残ってて。でも、その女将さんも、
ずっと残ってる子には情がわいて、かわいくなるから、かわいがっちゃう、みたいな。」

わたし「それって、わたしたちのことー?ひどいわーー 笑」
社長 「そう、ひどいやろーー 笑 でも、そうやねん。笑」
わたし「ひどい、ひどすぎる。笑」
などと言いあいながら、仕事をしていた。

いったいどんな会社かと思われそうだが。


さて。
自分自身について、
自分が知ることのできる範囲を越えたところからやってくる情報を教えてもらいたい、
という気持ちになることがあって、
ときどき、とあるサイキックな人に尋ねてみる。

「なんで、こんなに、男というものを憎んでしまうのか。じぶんに無害な人までも」
という問いに、彼女はさくさくと答えてくれる。

とある過去世で、復讐のためにたくさんの男たちを殺してしまっているということ。
(弓矢で。殺すために、弓矢の特訓をしたんだそうだ。)
殺したかった、たったひとりのその男の顔はしっかりおぼえているけれど、
その男そのものを殺せたかどうかは、わからないのだ、ということ。
(つまり、罪のない、似た顔の男をまちがってたくさん殺してしまったということだ)

それをきいたとき、笑っちゃいそうなぐらい、そのときのことが思い出せた。
「ああ、それ、わたしだ。」という、妙にリアルな感覚があった。
殺してしまった男だった人とも、たぶん、今世で出会ってる、と思う、のであるが、
こういうことは話せば話すほどうさん臭くヤバいかんじになるので、この程度で充分だ。

さて。

7歳以前のわたし。
「男は女の敵。女に悪いことをする男は抹殺すべきである」というような、へんに確信にもとづいた使命感をもって生きていて、
女の子に意地悪をして泣かせたりスカートをまくったりする男の子を殴り蹴り、咬み、
最後には四つん這いに歩かせて、手製の鞭で打ちまくる、
という幼稚園生活を営んでいた。
泣いてしまいそうなくらいに真剣に、正義感と復讐心に燃えていた。

中学生のときにやりたかったことは弓道をならうことだったけど、実現はしなかった。

おとなになるにつれ、「男は敵」という産まれもっての信念を正当化させるような事象にたくさん出会った。

サイキックな彼女の言ったことには、
「憎んでも、いいの。憎む自分を否定しなくていい。男をすきにならなくてもいい。
でもね、ひとつあなたへの宿題をだすとしたら、『そうじゃない男もいるってことを、知る』ってことね」

ひとによっては、こんな宿題、産まれた時からクリアできていたりする。
ひとによっては、こんな宿題をクリアするのに、何十年もかかったり、する。

彼女に宿題をもらってから1年ぐらいたった。
だいたい、彼女にもらった宿題って、「はあ、これかも」と気がつく日がくるのに、1年ぐらい、かかってる。
ころして、ごめん。
She

8月25日

えり子さんからスカイプ。
仕事のことから話題がどんどんとひろがって。

「交通事故に遭う、人に襲われる、痴漢にあう、あたられる、
などというのは陽性に極まった事象であって、
陰性に極まった状態にある人が受け易い」
というような話がでてきた。
タイムリーである。

それそれ、なんだか、すごーくよくわかる。
数年前までのわたしの人生、いかに陰性に極まっていて、それを気づかずにいたか。
じぶんの体感として、よーーくわかるんだ。
(交通事故だけは、わたしじゃなく、母さんが遭ってしまった)

じぶんの身になにがおきているか
というのは、ほんとうによくそのときの自分をあらわしているし、
自分が世界をどうみているかによって、自分のまわりにはそのとおりの世界がたちあらわれるものだな、と、
このごろつくづくおもっている。
同時に、そう思うようになったことで、自分がすこし冷たい人間になったような気もしているのだけれど。。。。

ひとの身になにかがおこっているとき、ああ、・・・と思う。
それはどうしようもないことだし、どうにかしようとおもうのはいやだ。
それは、そのひとの世界だから。
そのひとの世界を侵すのは、いやだから。
どんな世界があってもいいとおもうから。

だけど、きもちのどこかでは、うーーーん。。。と思ったりもする。
ヤッパ ニンゲンダモンネエ。
woke up beside a lake

8月24日

昨晩の半身浴と白湯のみのあと、
陰性な性質にかたよっていたこころとからだが、すこし真ん中に寄ったかんじ。
自分の真ん中にある軸をちょっととりもどしたような、かんじ。
そういう感じを、体で感じるので、おもしろい。

バランスのくずれた状態になると、よりバランスをくずすものを食べたくなったり、
よりアンバランスになる生活をしてしまったりするなあということを
つくづく実感しているのだけど、
「冷える」とか「アンバランスになる」ということを敵視すると、
また自分の行動を否定する要素をつくっちゃうことになる。
なので、いろんなことはおおめにみようとしている、つもり。。。

だって、調子のいいときに、より調子をよくするのは、かんたんだもの。

調子のよくないときに、
から元気を出すでもなく、(出してもいいとおもうけど)
しんどさを無視するでもなく、(無視してもよいとおもうけど)
しんどさはしんどさのままに。(それはそれでしんどいんだけど)
あとは放り投げて、白湯をのんで、お風呂に入る。(ふしぎにすっとする)

どうすごすか。

ネガティヴ/ポジティヴ、
陰/陽、
分断/統合、
二元性/多元性、

どっちがよくて どっちがダメ、
こっちはまちがいで こっちはただしい 
ってことじゃないなとおもう。

散漫な日記になっちゃったな。
like feathers

8月23日

ぐったりと寝ていた。
夕方前ごろから家事をして、家族の夕飯を作り、
またずっと横になっていた。
from there to there

2011年8月23日火曜日

8月22日

朝、「柳田はブラジルからまだ帰ってこないのだろうか」と思っていたら、
「帰って来ました」というメールが来た。

この国で暮らしていたら一生出会わないような光景をうしろにして、
はじけとぶような顔した写真がぞくぞくと送られてくる。
なんだか正体のわからない、ものすごく派手で巨大な女の人形と並んでいたり。

「あたし日本で鬱々としてたわよ なんかぜ〜んぶふりきりたい、その巨大女みたいに!」
とおもわず語気荒く返信した。

いつものように夜になって、
この後仕事をつづけるにはお腹が減り過ぎたなと思い、
近所のスーパーへおむすびを買いに行く。
社長には、おかかのおむすび。(ちりめん山椒のが無くて)
まみこさんには、うめぼしのおむすび。(ちりめん山椒のが無くて)
わたしは、明太子のおむすび。(お昼にうめぼしのを食べたので)

支払いを終えて、3つのおむすびをエコバッグにすべりこませていたら、
「アンタ!なにしてんのよ!」
という、ひくく響いて粘り気のある声が。
柳田である。

おもわず、「ぎゃーっ」と叫びながら、お客さんが買った品物をビニール袋に詰めたりする
あの台の前で、ぎゅーっと抱き合う。
「おかえりーーー」
「かえってきたわーーー」
「今日帰ってきた?」
「そーよ、朝アンタに送ったメール、空港からやってんから」

スーパーを出て、自転車を押す柳田とゆっくり歩きながら話。
わかれるまえの角で立ち話。

「なんかさー、あっちって、ゲイがもう、めっちゃくっちゃ多くって、
オネエ系のゲイの軍団なんかが、ふつうに、ライヴとか聴きにきてて、ふつうに混じってて、
で、足が切断されてて松葉杖ついてるオネエ系のわかいゲイの子なんかも居んのよ。
ほんで、年取ったおばちゃんとかも、もうみんな一緒に、音楽きいて踊り狂ったりするのよ。
そのなかにホームレスが混じってて、物乞いしてきたりもするしさ。」

そういう話をするときの表情とか語りかたにおいて、
ちょっと類を見ないうまさのある柳田の技にまけて、
不覚にも涙がにじんでくる。
まあ、夜だし見えないでしょう。

「で、その後みんなどうしてんの。へろへろになっちゃったり、してんの?」
「うーん、どうかなあ。。。ゆうこちんにメールしたら、妙に明るい返事がかえってきたけど。。。。」
「ふーん、そうなんだ。。。。あー、アタシも、なんかこの後やだわー。。。」
「リバウンドがくるかもって?」
「うん、そう」
「生徒に癒されなよ」
「うん、まー、そーなんだけどー」
「生徒がいるから」
「うん、まーね。。。」
柳田は誇り高き教師なのだ。

「また、納涼パーティとかするわ。アンタもあそびにきなさいよぉ」
「うん、うん」

ちりんちりーん、ちりんちりーん、と2回ベルを鳴らして、柳田は行った。
「さみしくなったら、あたしに電話すれば」と言いそうになったが、
たぶんそういうときに柳田のもとめるのはわたしではないのである と思って
よしておいた。
to put on or not

8月21日

みのりちゃんとの話のなかで「ぐるりのこと。」という映画のことがあがって、
もういちど観たくなり、観た。

ああ、これってまさに、数日前のうだうだした心にたいする回答だ。

「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんとするの。」
の呪縛にかかって、けれどその自分への期待がみじんにくだけたとき、
こころがよじれて病んでいくのをとめられない、妻。

ほんとうは、「ちゃんと」なんて、しなくてよかったんだけど。
でも、「ちゃんとしてる」ってひとにおもわれてると、安心なんだよね。
だけど、とことんぐちゃぐちゃに崩れていってみてはじめて、わかることだって、ある。

「なんで、あたしといっしょにいるの」ってぐちゃぐちゃの顔になって泣いている妻にたいしていう夫の

「すきだから」っていう言葉がすごいな、と、あらためて、
ずきーんときた。

「すきだから」なんて、こんなに何の根拠もあてもない答えがあろうか。
こんなに、それ以上にも以下にも言いようのない言葉があろうか。


これから観ようとおもっていたひとには、ごめんなさい。
でも、これだけ読んだくらいで、観たときの感動がすこしでもそこなわれるなんてこと、
絶対に無いって思います。
little women

8月20日

ひさびさに、起き抜けに、太陽礼拝をした。
ながいきびしい夏のからだが、かちかちだと訴えている。
ゆっくりゆっくり、できるところでとめて、
同じ動作をくりかえしくりかえしおこなうと、
5周目にはもともとのかたさくらいにほぐれた。

わたしのすきな、三角のポーズをする。
三角を作って胸をひらいていくときに、きまって股関節がぽきっと鳴るのだけど、
今日は鳴らなかった。
こころがちぢこまると、からだもちぢこまるからなあ。
でも、ちゃんと、伸びる。少しずつでも、あそびは、できる。

伊集院くんのところのTシャツにプリントされていた、とても繊細な幾何学模様がきえてしまったので、絵を描いた。
描いてしまってから、はっ 描いてしまったけど と思って伊集院くんにメールをした。
ほめてくれてやさしい伊集院くんだった。

ひとりこっそりおやつをすこしたべたり、
ひとりこっそりお酒をすこしのんだりした。
a little bit dried