2011年9月18日日曜日

9月7日

 それから私たちは、その粉薬の副作用について、一握の風説をきいた。この粉は、人間の小脳の組織とか、毛細血管とかに作用して、太陽をまぶしがったり、人ごみを厭ったりする性癖を起させるということである。その果てに、この薬の常用者は、しだいに昼間の外出を厭いはじめる。まぶしい太陽が地上にいなくなる時刻になって初めて人間らしい心をとり戻し、そして二階の仮部屋を出る。(こんな薬の常用者は、えて二階の仮部屋などに住んでいるものだと私たちは聞いた)それから彼等が仮部屋を出てからの行先について、私たちは悪徳に満ちたことがらを聞いた。こんな薬の中毒人種は、何でも、手を出せば掴み当てれるような空気を掴もうとはしないで、どこか遠いはるかな空気を掴もうと願望したり、身のまわりに在るところの生きて動いている世界をば彼等の身勝手な意味づけから恐れたり、煙たがったり、はては軽蔑したり、ついに、映画館の幕の上や図書館の机の上の世界の方が住み心地が宜しいと考えはじめるということだ。薬品のせいとはいえ、これは何という悪い副作用であろう。この噂をはじめて耳にしたとき、私たちは、つくづくと溜息を一つ吐いて、そして呟いたことであった。この粉薬は、どう考えても、悪魔の発明した品にちがいない。人の世に生れて人の世を軽蔑したり煙たがるとは、何という冒瀆、何という僭上の沙汰であろう。彼等常用者どもがいつまでも悪魔の発明品をよさないならば、いまに地球のまんなかから大きい鞭が生えて、彼等の心臓を引っぱたくにちがいない。何はともあれ、私たちは、せめてこのものがたりの女主人公ひとりだけでも、この粉薬の溺愛から救いださなければならない。
 けれどそのような願いにもかかわらず、私たちはその後彼女に逢うこともなくて過ぎた。すると彼女は、このごろ、よほど大きい目的でもある様子で、せっせと図書館通いを始めてしまったのである。

(尾崎翠 著 「こおろぎ嬢」 昭和7年7月)