一年後のその日が、まためぐってきた。宮殿の衛士たちは、詩人が草稿をたずさえていないことに気づいた。王は彼を見て少なからず驚いた。さながら別人のごとくであった。時以外の何ものかが、彼の顔面に皺を刻み、まったく変貌させていたのだ。両眼は、遠方を見ているか、あるいは盲目となったかのようだ。詩人は、王に二、三言上したいことがあると願いでた。奴隷たちは退けられた。
「頌歌はできあがらなかったのか」と王は訊ねた。
「いいえ、たしかにできました」と悲し気に詩人は答えた。「いっそ、主キリストがそれを禁じたまえばよかったも
のを。」
「くり返すことができるか。」
「よう致しませぬ。」
「そちに欠けている勇気を予が与えよう」と王は言った。
詩人はその詩を誦した。たった一行であった。
声高く口にのぼせる勇気もないまま、詩人と王とは、あたかも秘密の祈りか冒瀆の言葉であるかのように、ひそかにそれを味わった。王も、詩人に劣らず驚異にうたれ、畏怖していた。ふたりはひどく青ざめて、互いの顔を見交した。
「若い頃」と王は言う。「予は落日に向って航海した。ある島で、銀色の猟犬が、金色の猪を殺すのを見た。ある島では、火の壁を見た。中でも最も遠い島では、何か弧をえがいて中天にかかり、その水に魚や舟が泳いでいた。こうしたものはなるほど驚異ではあるが、そちの詩には比ぶべくもない。この詩句は、いわば、あれらすべてのものを包含している。いかなる妖術がこれをそちに与えたのか。」
「夜の引きあけに」と詩人は語った。「最初自分にも分らぬ言葉を口にしながら目ざめました。それらの言葉は一篇の詩でございました。私は罪を犯したかのように感じました。恐らく、聖霊の許したまわぬ罪を。」
「その罪を、今こそ予もそちと分かち合おう」と王は囁いた。「美を知ってしまったという罪、それは人間には禁断の恵みなのじゃ。今われらはその罪を贖わねばならぬ。予はすでに鏡と黄金の仮面を汝に与えた。さて、ここに、第三にして、最後をかざる贈り物がある。」
王は、詩人の右手に一振りの短剣をおいた。
詩人は、宮殿を退出するや、すぐさまみずからの命を絶ったと伝えられる。王は王で、一介の乞食となり、かつて彼の王国だったアイルランドを、道から道へとさまよい、二度とふたたび、あの詩篇をくり返すことはなかった、ということが知られるのみである。
(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 著 「砂の本」より 「鏡と仮面」 1975年)