2011年6月13日月曜日

6月12日

たとえば、「はなちゃん(仮名)」のこと。
彼女について、わたしのほんとうに大好きなところが、はっきりとひとつある。
それは、はなちゃんがいつでも完全に「今」の瞬間にいて、それをたのしんでいるところ。
どんな話題でも、そこにたまたまころがってくる会話にどっぷりつかって、
おどろいたりおもしろがったりするポイントを拾い上げてくるところ。
そして、夢中になることにどんどんと我が身を投じていくところ。

彼女だって、先行きを不安におもうことがあるかもしれない。
人知れず、復活できそうにないほど落ち込むようなことがあるのかもしれない。
そういうときだって、つよがらずうそをつかず、
そういう自分そのまんまでひとのまえにいるんじゃないだろうか、彼女は。
そういうところが好き。
私には彼女がそうみえる、ということなのだけれど。

このところそのことがたびたび心にうかんできていたので、かきとめておきたかった。

午後、尚美ちゃんの2人展の最終日へまたもすべりこみ。
電車を乗り継いで乗り継いで行くあの場所へ、
きょうはたのしい道連れもあって笑いのたえない一日。

尚美ちゃんの器、わたしも少し持っている。
すこしみどりがかったような白いいろの、やや細めの湯のみ。
山の端の線描がぐるりにあしらってある。
この器はシリーズもので、いろいろなパターンで複数つくられているものだけど、
ひとつひとつ、微妙にかたちもいろの出かたもちがうので、
ひとつひとつを矯めつ眇めつ手に取ってながめて、とてもとても時間をかけて選んだ。
おなじようだけど、「ここが特別気に入ったポイント」というのがある。
there are always 3girls