しっているひとのもとではたらく、というのは、おたがいに気をつかいあうだろうな
と思って向かったのだけれど、
なんとなく、おたがいに、必要以上に気をつかいあうことはないかもしれない
と思って帰った。
たぶん、今日のわたしは、先輩がやれば1時間以内にできそうなことを、3時間くらいかかってやったんじゃないだろうか。
すべてが未経験のことで、すべてをいちからおそわらなければならない。
このご時世に、即戦力に全くならない私を、気長に雇おうとしてくれた先輩、希有なひと。
ありがとうございます。
ルッコラの葉についている、アブラムシの天敵のアブラバチの卵。
卵が養分を必要とするせいか、アブラムシがつくよりも、アブラバチの卵がついているほうが、
ルッコラの葉の傷みがひどい。
結局、いままでとおなじように、アブラムシも、アブラバチの卵も、どちらもゆびで
こそげおとすことにした。
こそげおとしてから、一枚洗って食べた。からくてうまい。
夜、父が母に、植物の水やりのことでもんくを言っていた。
いいかたが感じがわるく、ひとをばかにするような言い回しなので、
あたまにきた母は「そんなこと言うなら自分が水やりをすれば」とおこって言い返していた。
そう言う母のきもちがわからない様子の父はそのあと、台所のものにやつあたりをして、
がしゃんがしゃんと音をたてていた。
人任せにしていることについて、はなから相手が無能であるかのように文句を言うという行為も、
ものにやつあたりをして場の雰囲気をがたがたにする行為も、
私はほんとうにきらいなので、わざとためいきをついた。
こういうこと、何十年も同じ。
しょうもないことかもしれないけれど、
子がそういうことにずっと耐えていること、想像したことあるのかな、親は。
歳をとると、どんどんこころがかたくせまく、相手の立場への想像力がすくなくなって、
ただただひがみっぽくなりゆくひとがいる。
どうしようにもしかたないんだろう、とおもうようにしている。
ひとをばかにする言い回しというのは、クセがつくと自覚もできないし、ほかのやりかたができなくなる。
そういう言い回しを親が子につかうと、子もそういう言い回ししかしらない子になる。
じぶんのことでいうと、私は、親からうけついだ言葉遣いから抜け出すのにとても苦労したので、
将来、こんな物言いをしてほしいとおもうような物言いで子にものを言うように努力している、
まわりのママさんパパさんを、とてもえらいことだなあとおもってみている。