朝から、隣に住んでいる祖母が家の中を大々的に整理しはじめたらしい。
父によばれて、手伝いにいく。
祖母の家は、母が育った家でもある。
祖父が晩年を独りで暮らした家でもある。
そして今は、祖母が独りで暮らしている家だ。
10年前からの3年ほど、わたしもここで祖母と暮らした。
一緒にたべる朝ご飯のトーストとサラダとめだまやきとコーヒーが、
一日のうちでいちばんおいしいと思っていた時期だった。
あの頃、わたしの職場であった施設に通所しているひとたちのことを、
祖母がいつも「あの、あたまのおかしな子ら」と呼ぶので、
そういったことでわたしたちは何度も何度も言いあいをした。
わたしが結婚をしないことについて、祖母はおりにふれ
不幸だ 不幸だ 将来が寂しいにちがいない と言い、
かちんときたわたしは、「じゃあ、お婆ちゃんは幸せだったの?出てったくせに!」と責めては泣かせた。
祖母とのことでいつもまっさきに思い出すのは、朝ご飯のことと、けんかのこと。
それから、わたしが両親と暮らすようになったとき、祖母が泣いてさみしがったこと。
今は、「お隣さん」として暮らしている。
祖母の家に入って、2階で父が解体しているベッドを1階へ降ろすのを手伝う。
古い、大きな時計とか、空っぽの水槽とか、
通信販売で買ったあやしげな健康器具などを捨てるのを手伝う。
「あんたの絵があるねん」と祖母にいわれて見ると、
学生時代に描いたフレスコ画がベッドの裏から出てきた。
一緒に住んでいた頃にわたしが持ってきていたものだ。
すっかり忘れて、学生時代に描いたものは全て捨てたと思い込んでいた。
さて、どうしよう、こんな大きな絵を。
とにかく、自分のアトリエ部屋へ運んだ。
「あと、その椅子な、捨ててほしいねん」と言う祖母。
みるとそれは、介護用のシャワーチェアだ。
たしかこれは何年か前に住宅改修をしたときに、祖母の希望で買いそろえたもの。
「その椅子な、昔、アメやら、向かいの秀くんやらが遊びにきたら座らせようと思って買ってん、子供の椅子やねんわ」
と祖母は言う。
椅子をうらがえすと、確かに介護用品メーカーのシールが貼ってある。
祖母は何度も、子供用の赤い椅子やねん というので、
しかたなくこの椅子も、わたしのアトリエへしまっておいた。
もうこの椅子は、祖母にとっては子供用の赤い椅子なのだ。
そのことについての言い合いは、もう、できない。
祖母の部屋の片付けがすんで、
アトリエ部屋でぽかんと昔の模写をながめた。
「出産の聖母」という、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵の模写。
とてもへんな絵だ。
なんでいまごろでてきたんだろう と思う。