彼らが去っていった後のしずけさ。
以前にくらべて、その差が少なくなってきた気がする。
アメもツキも、だんだんと大人にちかづいていくのだということを、
そのことによっても気づかされる。
今回、アメに会っていちばんに思ったのは、顔がかわったということ。
目元にあった険が消えて、目がおおきくぱっちりとした。
そのことを妹に伝えると、彼女も
「うん、私もそう思っててん。性格も、前はもっとぴりぴりしてたけど、
そういうのが無くなった」と言う。
数年前のアメを思い出す。
妹にいわれたことで腹をたてて、
だけどどんな風にそれを表出していいのかわからなくて、
あぶないものをふりまわすしかなかったアメ。
「言葉でいいなさい!」と言ったところで、
その「言葉」は、なかったのだ、あの時の彼の中には。
「人に向かってあぶないものをふりまわすのはルール違反!」と、
持っていたものを厳しくとりあげたら、
泣いて泣いて、胃の中のものをぜんぶ吐いた、アメ。
バイリンガルやトリリンガルの子どものコミュニケーションについて勉強したことがないから、
巷で言われていることは全然しらないけれど、
彼らは、ことばというものの扱い、そしてことばをつかったコミュニケーションというものに、
わたしたちが思っているよりずっとずっと、混乱や苛立ちを感じているような気がする時がある。
両方の親がそれぞれまったく違う言語を話すというのは、
ただことばをおぼえればすむ という問題ではないように感じるから。
今回の滞在中に義弟が撮った、おびただしい数の写真を見た。
ツキとアメと一緒にピアノを弾いていた時の写真があった。
アメが、アメじゃないみたいな顔をして笑っている。
こんな顔して笑うときがあるんだ、と思った。
義弟の、ものごとのいちばんうつくしい瞬間をとらえる才能をかんじる。