2012年1月1日日曜日

11月8日

つかれ気味で、やたらに眠った。
午後おそくに目覚める。
洗濯やかたづけ、家族の夕飯の準備などをしていると、すぐに夕方がきてしまう。
夕方がくるいうのはつまり、学校へいく時間がくるということだった。

今日は、部分縫いのうち、表地にファスナーをつける工程。
先週の裏地にくらべると、表地というのはずいぶんと安心感のある素材だ。

学校でやることにぎゅっと集中するのは、わたしにとってとてもよい。
しかし、その行き来の電車のなかで最近わたしが集中している事がほかにもあって、
それは、田辺聖子の小説を読むことだ。

ついこのあいだまでは、いったいなにがおもしろいのかまるでわからなかった。
関西弁でしゃべくる男女、惚れたはれたのくりかえし、
それのどこがいいんだか、さっぱりだった。
なのに今はその魅力にとりつかれている。
関西弁にしか出せない、微妙で繊細な感情のニュアンスだとか、
ふるく由緒ただしい関西人なら眉をひそめる、「粉もん」にたいする飽くなきこだわり、だとか。

わたしは自分自身が関西人であることにもあまりなじめないと思うことがおおいし、
とくに「粉もん」が好きだというわけでもないけれど。

40歳前後の人間の、もやっとした部分や、それだからこそみつけられる、きらっとしたもの、
きらっとみえて拾ったたものがじつは見当違いのものだったことを知る苦さ、とか、

そういうところを美味しい味に料理して描いてくれてあるような、
そこにはまっているんだろうとおもう。