2012年1月1日日曜日

11月29日

バグだとおもうのだけど、ブロックした相手にまたフォローされたのをきっかけに、
しばらくは、ツイッターに鍵をかけようと決断した。
ブロックした相手というのは、わたしの父親。

バグだとはおもうけど、
バグで起こるならなおさら、意味がある。
かたく拒否すればするほど、こういうふうにつきつけられる、
そういうことがある気がする。

ここで今わたしに見えている表面上の問題は、
「個人の境界線をわきまえずに領域を侵してくる人、その行為」だ。

ずっとくもっている何かの発端はここなんだっていうこと、ほんとうはわかっている。
そして、目に見えている「父親」が問題なのではないということも。
だけど、目に見えている「父親」という形であらわれてくるものごとに対してどう対応するのか、というのはほんとうに生死を左右する位に大きな問題なんだ、わたしにとって。


ツイッターっていう、ひとくせある交流ツール上で、
こういった問題をわたしの友人をもまきこんでおおっぴらにすることも、
きもちわるすぎて吐き気がした。

洋裁学校へいき、縫い物をして、少しだけ、きもちのやり場をつくることができた。

この問題について、わたしのこころのなかでおこっている戦争を他の人に理解してもらうことなんて、ほんとうに、不可能だとおもう。
なぜそれがこんなに大きな問題なのか、わたし自身にすらわからない。
とても孤独なたたかい。
たぶんだれしもが、いろんな形でやっていること。
だれも、たちいれない領域。