2012年2月25日土曜日

1月6日

朝から、隣に住んでいる祖母が家の中を大々的に整理しはじめたらしい。
父によばれて、手伝いにいく。

祖母の家は、母が育った家でもある。
祖父が晩年を独りで暮らした家でもある。
そして今は、祖母が独りで暮らしている家だ。

10年前からの3年ほど、わたしもここで祖母と暮らした。
一緒にたべる朝ご飯のトーストとサラダとめだまやきとコーヒーが、
一日のうちでいちばんおいしいと思っていた時期だった。
あの頃、わたしの職場であった施設に通所しているひとたちのことを、
祖母がいつも「あの、あたまのおかしな子ら」と呼ぶので、
そういったことでわたしたちは何度も何度も言いあいをした。
わたしが結婚をしないことについて、祖母はおりにふれ
不幸だ 不幸だ 将来が寂しいにちがいない と言い、
かちんときたわたしは、「じゃあ、お婆ちゃんは幸せだったの?出てったくせに!」と責めては泣かせた。

祖母とのことでいつもまっさきに思い出すのは、朝ご飯のことと、けんかのこと。
それから、わたしが両親と暮らすようになったとき、祖母が泣いてさみしがったこと。

今は、「お隣さん」として暮らしている。

祖母の家に入って、2階で父が解体しているベッドを1階へ降ろすのを手伝う。
古い、大きな時計とか、空っぽの水槽とか、
通信販売で買ったあやしげな健康器具などを捨てるのを手伝う。

「あんたの絵があるねん」と祖母にいわれて見ると、
学生時代に描いたフレスコ画がベッドの裏から出てきた。
一緒に住んでいた頃にわたしが持ってきていたものだ。
すっかり忘れて、学生時代に描いたものは全て捨てたと思い込んでいた。
さて、どうしよう、こんな大きな絵を。
とにかく、自分のアトリエ部屋へ運んだ。

「あと、その椅子な、捨ててほしいねん」と言う祖母。
みるとそれは、介護用のシャワーチェアだ。
たしかこれは何年か前に住宅改修をしたときに、祖母の希望で買いそろえたもの。
「その椅子な、昔、アメやら、向かいの秀くんやらが遊びにきたら座らせようと思って買ってん、子供の椅子やねんわ」
と祖母は言う。
椅子をうらがえすと、確かに介護用品メーカーのシールが貼ってある。

祖母は何度も、子供用の赤い椅子やねん というので、
しかたなくこの椅子も、わたしのアトリエへしまっておいた。

もうこの椅子は、祖母にとっては子供用の赤い椅子なのだ。
そのことについての言い合いは、もう、できない。

祖母の部屋の片付けがすんで、
アトリエ部屋でぽかんと昔の模写をながめた。
「出産の聖母」という、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵の模写。
とてもへんな絵だ。
なんでいまごろでてきたんだろう と思う。