2012年2月19日日曜日

12月22日

彼らが去っていった後のしずけさ。
以前にくらべて、その差が少なくなってきた気がする。
アメもツキも、だんだんと大人にちかづいていくのだということを、
そのことによっても気づかされる。

今回、アメに会っていちばんに思ったのは、顔がかわったということ。
目元にあった険が消えて、目がおおきくぱっちりとした。
そのことを妹に伝えると、彼女も
「うん、私もそう思っててん。性格も、前はもっとぴりぴりしてたけど、
そういうのが無くなった」と言う。

数年前のアメを思い出す。
妹にいわれたことで腹をたてて、
だけどどんな風にそれを表出していいのかわからなくて、
あぶないものをふりまわすしかなかったアメ。

「言葉でいいなさい!」と言ったところで、
その「言葉」は、なかったのだ、あの時の彼の中には。
「人に向かってあぶないものをふりまわすのはルール違反!」と、
持っていたものを厳しくとりあげたら、
泣いて泣いて、胃の中のものをぜんぶ吐いた、アメ。

バイリンガルやトリリンガルの子どものコミュニケーションについて勉強したことがないから、
巷で言われていることは全然しらないけれど、
彼らは、ことばというものの扱い、そしてことばをつかったコミュニケーションというものに、
わたしたちが思っているよりずっとずっと、混乱や苛立ちを感じているような気がする時がある。
両方の親がそれぞれまったく違う言語を話すというのは、
ただことばをおぼえればすむ という問題ではないように感じるから。

今回の滞在中に義弟が撮った、おびただしい数の写真を見た。
ツキとアメと一緒にピアノを弾いていた時の写真があった。
アメが、アメじゃないみたいな顔をして笑っている。
こんな顔して笑うときがあるんだ、と思った。
義弟の、ものごとのいちばんうつくしい瞬間をとらえる才能をかんじる。